毎年夏の終わりに参加させていただいている合宿勉強会がある。「古典」を媒介にした高度な知的交流の場であるアスペン研究所のスタイルに倣い、経済や経営と直接的には関わりのないリベラル・アーツ(教養科目)を、碩学の方々から教えていただくという、なかなか贅沢な機会だ。
今年は「不確定性」をテーマにし、様々な分野からこの問題を考えるという仕立てだったのだが、その中で、「ニコマコス倫理学」を中心にアリストテレスを取り上げた講義があった。
事前に何冊かの本を読んでから出席することが求められていたのだが、恥ずかしながら、アリストテレスの原典(もちろん翻訳ですが)は、正直手ごわすぎて、歯が立たなかった。勉強会での議論にも全くついていけなかったらどうしようか、と心配しながら、こわごわ出席した次第。
様々な視点・視座を列挙する
ところが、『哲学の原風景』『哲学の饗宴』(NHKライブラリー)という一般向けの名著でも知られる荻野弘之上智大学教授の手にかかると、アリストテレスの著作が、すっきりと腑に落ちる(ように思えた、というのが正確なところ)。
『哲学の饗宴』の中でも、
突進してきたイノシシに、オックスフォードの学生が読んでいたアリストテレスの本を突きつけたら、イノシシが頓死してしまった。
というアリストテレスの難解さを伝える逸話が紹介されている。
私にとっても、「ニコマコス倫理学」は、サンスクリット語のお経もかくや、と思えるほど難解極まりなく見えたのだが、講義を伺ってみると、すっきりと整理された読みやすい文章に思えてくるほどだったのには、正直びっくり(ちなみに、アリストテレスの「著作」とされるものは、彼の講義用の個人的覚書をもとに、弟子を中心とした人たちが、書籍として読んで分かるように欠落した部分を書き足したものなので、一般人にとっては読みにくくて当然とのこと。これを聞いて、少し安心しました)。
さて、その講義の中で、アリストテレスの「論の進め方」の特徴のひとつとして、ある事柄について様々な視点・視座からの見方を列挙していくということが挙げられていた。あまりできの良くない生徒の理解なので、受け取り方がずれているかもしれないが、要は、可能な限り物事を多面的に見てみる、ということだろうかと思う。
人間に関わる様々な事象は、自然科学の対象と異なり、論理とデータですべて分析・検証できるわけではない、と考える。あるいは、ソクラテスのように、議論のプロセスの中で相手側の論拠をいったん受け止め、「対話」を通じて一つひとつその正否を検証していく。こういう立場に立てば、多面的なモノの見方を常に自らに課すということは、現代の経営の場でもたいへん有効なことに違いない。
中国と日本の世代別所得を読み解く
さて、勉強会を終え、日常業務に戻った後も、こんなことを反芻しながら考えるに至ったのには、ちょっとしたきっかけがある。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。










