ここまでご覧いただいてきた楽天イーグルス創業記。ところで、南壮一郎氏はなぜ、プロ野球の世界に飛び込むことを決めたのでしょうか。
それまで在籍していた、外資系金融機関からプロスポーツの世界へ。その転身は、一見、華やかなように見えますが、決してすんなりと成功したわけではありませんでした。
外資系金融機関を辞めた後、一時は、まったく仕事がなくなり、フットサル場の管理のアルバイトで糊口をしのいだこともありました。「何とかなる」と思っていた南氏も、不安な日々に眠れないこともあったと言います。南氏が味わった挫折の時期といっていいでしょう。
今回は、南氏の楽天イーグルス創業メンバーとなるまでの道のりをご覧いただきます。
(日経ビジネスオンライン編集部)
世界が注目する4年に1度の祭典、FIFAワールドカップ。今年6月の南アフリカ大会では、日本代表が決勝トーナメントに進出、大いに私たちを盛り上げてくれたことは、記憶に新しいところです。予選リーグを勝ち進む日本チームの雄姿に、感動で鳥肌が立った方も多かったのではないでしょうか。
「鳥肌が立つような感動を届ける仕事がしたい」。
実は、私が東北楽天ゴールデンイーグルス創業に関わる大きなきっかけを作ってくれたのも、このワールドカップでした。
忘れられない2002年ワールドカップ
時計の針は、2002年までさかのぼります。忘れもしない、6月9日。私の運命を変えた1日でした。
この日、私は友人と日韓共同開催のワールドカップ「日本対ロシア戦」をスタジアムで観戦していました。日本がワールドカップで初めて勝利を挙げた、歴史的な試合です。
真っ青に染まった7万人のスタジアム。日本の勝利を信じて一心不乱に応援する日本のサポーターたち。スタジアム全体が異様なエネルギーに満ち溢れ、試合前から、私の全身は鳥肌が立ちっぱなしでした。
1対0――。
日本がワールドカップ史上初めて勝利を決めた瞬間、スタジアムの興奮は最高潮に達しました。熱狂の渦に包まれたサポーターは歓喜の雄叫びを上げ、感動を全身で表現していました。気がつけば私も涙がとまらず、友人も周囲の観客も、皆、泣いていました。見知らぬ人同志が抱き合って喜びを爆発させる光景が、スタジアムのあちこちで見られたのです。
そんな、狂喜乱舞の中、ふと私は思いました。
「果たして今の自分は、仕事の中で鳥肌が立って涙する瞬間はあるだろうか?」
当時は、大学を卒業して、米国の投資銀行モルガン・スタンレーの東京支店で働き始めてから3年が過ぎ、今後のキャリアについて悩んでいた時期でした。
私自身、金融機関での仕事には満足していました。企業買収や投資の仕事はスケールが大きく、ワクワクする瞬間もたくさんありました。
しかし、仕事を通じて鳥肌が立ったり、涙を流したりすることは、ありませんでした。「何か、物足りない」。そんな思いが、胸のどこかにひっかかっていました。それだけに、ワールドカップで味わった感動が、自分の心を激しく揺さぶりました。
「やっぱり、自分はスポーツの仕事をやりたい」。そう、強く感じた瞬間でした。
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