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第1話 どうしたら正義を語ることができるのか

  • 草野 耕一

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2010年10月14日(木)

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ミネルバのふくろうと法律学

 「ミネルバのふくろうは黄昏(たそがれ)に飛翔する」ヘーゲルが『法の哲学』に記したこの謎めいた言葉の意味は何か。様々な解釈があるようだが、私が学生時代に習ったものはこうである。

 古来ふくろうは学問の神ミネルバの化身と考えられてきた。夜行性の生き物であるふくろうは黄昏にならなくては飛翔できない。ヘーゲルは、ふくろうのこの行動様式の中に学問の負う宿命を看取した。すなわち、あらゆる事象はその歴史が終わらなければ真実の姿を把えられない。ゆえに、学問が真理を見い出すのは対象とする事象が歴史的終焉を迎えた後のことである。

 さすがはヘーゲル。見事なメタファー(隠喩)だ。しかし、比喩が美しいからといって主張が正しいとは限らない。他の学問分野はいざ知らず、少なくとも法律学はミネルバのふくろうに課された宿命とは無縁の存在だ。

 法律学は巷(ちまた)に生起する諸問題を同じ時代・同じ空間に生きる人々の手によって解決するためのアート(技芸)だからである。国家間の争いから家族間の争いまで、あらゆるレベルの紛争の論点を整理してそれを平和裡に解決すること、それが法律学に与えられた使命であり、絶対的真理を求めて歴史の終焉を待つ余裕などあるはずがない。

 問題の実践的解決能力、それこそが法律学の真髄であり、この働きがあればこそ法律学は有用な学問としての評価を長年にわたり享受してこれた。ところが、最近に至り状況が変わった。少なくとも私にはそう思われる。たとえば、社会問題を論じる各種のフォーラムで積極的に意見を述べる者の多くはエコノミストであり、その勢いは本来雄弁さが持ち味であるはずの法律家を凌ぐほどである。問題解決能力という法律学の旗印が精緻化の進む経済学に奪われつつあるように思えてならないのだ。

なぜ嘘をついてはならないのか

 現代社会のニーズに応えるために法律学はいかなる自己改革をはかるべきか。この問題を解く糸口として、とりあえず次の問いへの答えを考えてもらいたい。

嘘をつくことはなぜ悪いのか。その理由を明らかにせよ。

 いかがであろうか。「嘘をつくことは人間の尊厳を否定することだから」、「嘘をつく人間は周囲の者から軽蔑され、嫌われるから」、そんな解答が多いことだろう。しかし、よく考えてもらいたい。これらの主張は「嘘をついてはいけない」というルールの存在を前提とするものではないだろうか。たしかに、そのようなルールのある社会でこれを破り嘘をつく人間は尊厳を失い、他人からも嫌われ、軽蔑されることだろう。社会のルールが定まっている限り、そのルールに違反することはそれ自体として「正しくない」行為なのだ(*1)。(「自動車は左、歩行者は右」というルールが決まっている社会で道路の右側を運転することは正しくない行為である)

*1 ただし、「悪法もまた法であるか」という法哲学上の伝統的議論を展開する余地はある。

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