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第2話 法律学を元気にするには経済学の助けが必要だ

  • 草野 耕一

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2010年10月28日(木)

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規則帰結主義の問題点と功利主義

 正義を語るにはルールの存在を仮定してはならず、ルール自体の正しさを論証しなければならない。ルール自体の正しさを論証するにはルールがある社会とない社会を比較してその優劣を論じなければならない。以上の考え方を規則帰結主義という。これが前回のコラムの要旨であった。

 しかしながら、規則帰結主義の議論の精度を高めるにはさらに二つの問題について考えなければならない。その一つは、存在するルールがない世界(あるいは、存在しないルールがある世界)の状況をどうやって推論するかという問題であり、もう一つは、ルールがある社会とない社会の優劣をどのような基準によって判定するかという問題だ。

 このうちの判定基準の問題に対する一つの解答は功利主義 (utilitarianism)(※1)である。功利主義が用いる判定基準は、社会の構成員が享受する幸せの大きさを合算した値であり、この値が最大化される社会が最も望ましい社会である。この判定基準を以下「最大幸福原理」と呼ぶことにする。

 功利主義は魅力的な思想だ。なぜなら、それは現代社会が認める価値観を色濃く体現しているからである。

 第一に、功利主義は人間中心の思想である。功利主義が大切にするものは生身の人間の幸福だけであり、それ以外のものは考慮しない。「民族の栄光」も「世界精神の実現」も「超人の誕生」も功利主義のあずかり知らぬ世界の話だ(※2)

 第二に、功利主義は平等の思想を基盤としている。最大幸福原理は富める者も貧しき者も、賢き者も愚かなる者もすべて同じ一人としてカウントする。ベンサムの言葉を借りれば、「すべての者を一人と数え、誰も一人以上に数えてはならない」のだ。

 第三に、功利主義は自由主義に立脚している。人間が幸福を感じる対象にはさまざまなものがある。クラシックバレエの観賞に至福を覚える人もいれば、ロック・バンドの野外コンサートが大好きという人もいるだろう。功利主義は人々が幸福を感じる対象の価値に序列を設けない。何に幸福を感じるかは一人一人が自由に決めることであり、他人がとやかく言うことではない。これが功利主義の考え方だ。

 功利主義が歴史上果たした役割は大きい。たとえば、功利主義の創始者の一人であるベンサムがこの思想を使って攻撃を加えたのは19世紀イギリスの刑罰制度であった。刑罰は人に苦痛(=マイナスの幸福)を与えるものである。したがって功利主義の立場に立てば、「犯罪の予防」という便益に必要な範囲を超えて刑罰を加えることは正当化できない。ベンサムはこの論理を用いて苛酷を極めた当時の刑罰制度を弾劾し、その改善に努めたのである。

功利主義の今日的役割とその弱点

 正義論や法律論を論じるうえで功利主義が果たせる役割は今でも大きい、そう私は考えている。

 たとえば、先日(2010年9月10日)無罪判決が出された厚労省の村木厚子さんの事件について考えてみよう。この事件の最大の衝撃は担当検事自らが証拠を改ざんしたことであるが、忘れてはならないもう一つの重大事は村木さんが事件への関与を認めなかったというだけの理由で160日間も勾留されたことである。保釈請求を拒んだ検察官や裁判官は言うかもしれない。「それはやむを得ないことであった。

 なぜならば、少なくとも公判における検察側の立証手続が終わらない限り、保釈された被告人が検察側の証人と連絡をとって公判における証言内容を変えさせる怖れがあったからだ」と。しかし、功利主義の立場に立って考えた場合この弁解は意味をなさない。なぜならば、仮にこの主張の内容がそれ自体としては正しいとしても、それによって160日もの長きにわたり村木さんを刑事施設に監禁したことが正当化できるとは思えないからだ。

 村木さんと証人との接触を避けることが唯一の勾留目的であるならば、その間電話やファックスのないビジネス・ホテルに宿泊させ、監視員を配して外部との接触を遮断することで目的は十分果たせたであろう(※3)(村木さんはそのために発生する費用を喜んで負担したであろう)。19世紀の刑罰制度を糾弾したベンサムの思想は今日におけるわが国の勾留制度の不条理を問うためにも有効に働くのではないだろうか。

※1 評価の対象が行為ではなくルールであることに留意すれば、「規則功利主義(rule-utilitarianism)」と言う方が正確であろう。なお、功利主義の方が帰結主義よりも先に生まれた概念であることから、この二つの思想はしばしば同視されがちであるが、功利主義は帰結主義を体現した思想の一つに過ぎない。

※2 ただし、これらの理念を抱くことに快感を感じる者がいれば、その快感自体は幸福計算に組み入れるべきかもしれない。この点については、脚注(※5)も参照されたい。

※3 この意見に対しては次のような反論を述べる者がいるかもしれない。「それは立法論としてはもっともであるが、現実にそのような制度がない以上勾留の維持を認めざるを得ないのだ」と。しかし、立法の怠慢を口実に被疑者・被告人の人権を蹂躙することは現行法の解釈論としても許されないのではないだろうか。

コメント2件コメント/レビュー

終盤の独禁法を例に取ったくだりは、法律と言う視点で見た場合に功利主義との絡みで確かに複雑になりますが、そこがおそらくは法律の限界でしょう。仮に独禁法違反だった会社に過度のペナルティになりうる施策を取れないとするなら他に方法は「独占率に比例した法人税を課す」方がずっとシンプルでかつ、スマートかと思います。なんとなれば法律の最大の欠点は『法の抜け道を塞ごうと徹底しすぎたら民が生きられない』つまり、法律は生産性が無い為、強化しすぎると逆に行動の自由も奪ってしまう。その具体的な例として古代中国の秦が滅びた原因ですね。ゆえに考えるべきは法律の扱い方は『角を矯めて牛を殺し』てはならないのであって、むしろ『小の虫を殺して大の虫を生かす』方向性が求められるのではないでしょうか?(2010/10/28)

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終盤の独禁法を例に取ったくだりは、法律と言う視点で見た場合に功利主義との絡みで確かに複雑になりますが、そこがおそらくは法律の限界でしょう。仮に独禁法違反だった会社に過度のペナルティになりうる施策を取れないとするなら他に方法は「独占率に比例した法人税を課す」方がずっとシンプルでかつ、スマートかと思います。なんとなれば法律の最大の欠点は『法の抜け道を塞ごうと徹底しすぎたら民が生きられない』つまり、法律は生産性が無い為、強化しすぎると逆に行動の自由も奪ってしまう。その具体的な例として古代中国の秦が滅びた原因ですね。ゆえに考えるべきは法律の扱い方は『角を矯めて牛を殺し』てはならないのであって、むしろ『小の虫を殺して大の虫を生かす』方向性が求められるのではないでしょうか?(2010/10/28)

学生時代を思い出しました(法学部)。質問させてください。いかなる問題意識で法と経済学に注目しているのですか?具体的にどういう判断問題が法律の現場で発生しているのでしょう?その問題意識が少しクリアーでないので、ロジックを追っかけるときももやがかかったような気がしてしまいます。(2010/10/28)

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