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「フェイスブック」の芽を俺自身いくつもツブシてきた!

なぜ日本で「ツイッター」は生まれなかったのか

2011年2月1日(火)

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 前回チュニジア動乱を「ソーシャル・ネットワーク革命」視したりするのは早計だ、というお話をしましたが、懸念したように隣国に暴動は広まり、この原稿を初校(最初のゲラ)にした日本時間の1月27日時点で、エジプトが大変なことになり始めていました。

エジプト騒乱も「ソーシャル・ネットワーク革命」ではない

 イスラム教徒にとっての週の祭日は金曜日で、モスクでの昼の礼拝と集会がコミュニティを1つにまとめます。日本時間で27日の夕方、金曜集会が終わった後、人々は誰が誘うともなく政府に疑問を呈するデモに参加し、ムバラク大統領の退陣を求める群集の運動がやがて騒乱となってしまいました。

 週末にかけてエジプト・アラブ共和国は前代未聞の「携帯電話・インターネット鎖国状態」となってしまいます。政府の手によってネットワークが遮断され、内外の情報伝達ができなくなったということです。人々がデモに集合するのには、もっぱら携帯やソーシャルメディアが使われていました。情報活動のエキスパートを非常事態収拾の副大統領に任命した改造ムバラク政権は、露骨な情報遮断と市民への武力の行使を進め、米国クリントン国務長官の談話や、英仏独3カ国首相連名の声明などで市民への武力行使を控えること、冷静な解決策の早急な実施を求められます。唯一エジプト情勢を伝えていたカタールの有名なアル・ジャジーラ放送も事務所を閉鎖され、記者たちがゲリラ的に送ってくる情報で報道をかろうじて続けているという有り様のようです。

 民主化運動に呼応して帰国したノーベル平和賞受賞者、前IAEA(国際原子力機関)事務総長のモハメド・エルバラダイ氏が警官隊に包囲され、放水によってずぶ濡れになったようだ、など、刻一刻の情報がアル・ジャジーラのゲリラ放送をニュースソースにツイッターやフェイスブックに流れてきて、テレビなど既存のマスメディアがまったく追いついていません。もし「ソーシャル・ネットワーク革命」という言葉を使うのならば、こうしたメディアの逆転状況を指すべきなのかもしれません。

 現在のエジプトは、人々が携帯もインターネットも使えない状況ですが、騒乱の度合いはむしろ激しくなっており、月曜夜の時点で全国での死者が100名とも150名とも言われる混乱状態に陥っているようです。このこと自体が、エジプト騒乱は「ソーシャル・ネットワーク革命」などではなく、永年にわたって鬱積したさまざまな矛盾が火を噴く、より深い根を持つものだということを、明瞭に示していると思います。

 それはそれとして、前回は、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)が本当に国民に浸透して、その意識を底から変えてゆくとしたら、むしろ日本国内のことを考えたほうが良いのでは? と書いたのですが、その続きをもう少しだけ、踏み込んでお話したいと思います。

 コメントで「『指揮者の仕事術』の記事を読みたかった。残念です。」といただいたのはとても嬉しく、また申し訳ありませんでした。

 この本はお陰様で先週火曜日の時点で増刷が決まり、まだ当分、絶版などにはならないと思いますので(汗)、次回以降、今回の本には書かなかった「組織を動かす指揮者の知恵」とか「人を育てる指揮者の方法」といったタイトルで、ビジネス全般に応用が利きそうなミュージック・コンダクターのテクニックについて、お話させていただければと思っています。というわけで、今回は「ソーシャル・ネットワーク・システムの源流探訪」をしてみましょう!

「フェイスブック」と「ソーシャル・ネットワーク」

 「砂糖山」・・・いきなり何のことかと思われたかもしれません。評伝The Facebook Effect(邦訳『フェイスブック 若き天才の野望』=日経BP社)がヒットしている、フェイスブックの創始者、マーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)のファミリーネームを日本語に意訳してみたもので、ドイツ・ユダヤ系移民の子孫と思われる彼の苗字は、英語風にすれば「シュガー・マウンテン(砂糖の山)」という面白い言葉になっています。せっかくネット連載ですのでザッカーバーグ自身のフェイスブックのリンクも貼っておきましょう。

 1984年生まれのザッカーバーグ少年がこうしたシステム開発に手をつけたのは19歳だった2003年頃のことといいます。そのころちょうど、僕は彼らのダブルスコアの年齢、38歳の助教授として、ザッカーバーグ少年くらいの新1年生、あるいはもう少し年のいった学部学生や大学院生たちと、システム上でいろいろな案件に関わっていました。

 映画や本はザッカーバーグを「天才プログラマ」と謳い上げますが、率直なところ、着想や技術開発だけであれば、およそ「天才的」というような話ではないのは、日経ビジネスオンラインをお読みのSEの方なら、大半が合意してくださると思います。最初は普通でした。それを「度を越してやった」「やらせてもらえた」「進んじゃった」ことで、その後につながっているわけです。

 実は私事ながら、このところインフルエンザA型にやられて寝込んでいたため、まだザッカーバーグのフェイスフック開発秘話を描いた話題の映画『ソーシャル・ネットワーク』など見ていないのですが、実はちょうど同じ時期、僕自身もザッカーバーグと上下5歳くらいの学生バイトを10人ほど組織して、似て非なるシステム開発の責任者をしていたことがあります。

自分自身「フェイスブック」の芽を潰してきた

 先ほどSE的に見ればザッカーバーグの大本の発想や技術だけなら、どうということはない、と書いたわけですが、実は僕自身、「フェイスブック」と同じようなことをしたい、と言ってきた学生のアイデアを、複数回「却下」したことがあります。着想だけなら、実はどうということはない、そこそこどこにでもある話です。その背景からお話しましょう。

 作曲とか指揮という自分の領域がブレて見えたり、専門が別のものと誤解されないよう、最近はあまりお話しないのですが、以前は大学内部で研究公務として技術開発に携わっていました。2000年の春、僕が音楽実技の助教授として呼ばれたのは、東京大学としては建学以来初めてのことで、ピアノ1台ないところからのスタートでした。

 ところが、日本というのは嫌な国ですね。積分など黒板に書いて話をすると「科学者」にされてしまう。もうそういうことは極力しないようにするようにしましたが、この薄っぺらさは何とかしてもらえないかと正直思います。安部公房がどれだけお医者さんでも、彼の作品はあくまで作家としての安部と向き合って読むべきものでしょう。それが大学の中ですら、僕を物理の教授と誤解する人が続出する始末で、工学部で量子力学を担当させられたり、いろいろエラいことになりました。

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