堀口紫は母・恵が創立したNLPインスティチュート(東京都中央区)の取締役を務めている。ここでは、NLP(神経言語プログラミング)に基づく実践心理学を用いて、人間の中に眠る、さまざまなコミュニケーション能力を呼び起こし、育成していく。企業研修はもちろん育児や医療、教育など幅広い分野で注目されている。
紫は「ゆかり」と読む。堀口は名前のゆえんとなった、古今和歌集にある読み人知らずの秀歌を教えてくれた。
「紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る」
彼女の容姿はたいへんたおやかで、態度や人当たりも柔らかい。そのやさしげな微笑みは、どことなく平城の唐風美人「鳥毛立女屏風」を連想させる。
堀口紫は名前や容貌のごとく、大和の国の撫子たる婦女ではあるまいか。とてもトライアスロンのようなアクティブな世界にそぐわない――勝手な想像を膨らませていたのだが、その見当はいい意味で外れてしまった。
堀口はさまざまなスポーツとの出会い、親しみ、打ち込んでいるばかりか、実生活やビジネス面では日本の枠から飛び出した異色の経歴を持つ。堀口が進む、今様の和魂洋才の道をトライアスロンという軸から照射することで、彼女の多彩な顔を浮き彫りにしていきたい。

NLPインスティチュート取締役。成城大学法学部卒業後、銀行で為替ディーラーの仕事に携わり、コンサルティング会社の勤務を経て米国シリコンバレーにてIT企業の合併業務に携わる。 その後、米GAPの日本進出プロジェクト、ゴディバジャパンで日本の店舗開発などを経て、NLPインスティチュートに入社。1995年、米カリフォルニアでNLPプラクティショナーを取得。
NLPインスティチュート取締役の堀口紫がトライアスロンデビューを飾ったのは2009年9月のことだった。
「栃木の高原山で開催されたスプリントディスタンスのレースでした。オリンピックディスタンスのレースは2010年6月の『みなと酒田トライアスロンおしんレース』が初トライになります」
一般的なトライアスロンレースは「オリンピックディスタンス」と呼ばれ、「スプリント」はこの半分の行程であるスイム0.75km、バイク20km、ラン5kmをこなす。
「トライアスロンをする直接のきっかけは、やっぱり“トライアスロン・ボーイズ”になりますね」
チャンスさえあればやってみたかった
この連載では毎回のように紹介しているから詳細は省くが、“トライアスロン・ボーイズ”には気鋭の起業家や経営者、それに準ずる50人近い面々が集っている。
「メンバーの田口義隆さん(「全体像が見えれば因数分解して、小さな目標を掲げればいい。」)からメンバーをご紹介いただいたことで、トライアスロンにチャレンジするようになるんです」
田口の名は本連載でたびたび挙がっている。彼は中部地区で別のトライアスロンチームも主宰しており、ここ数年、経営者に時ならぬトライアスロンブームが起こったのは、彼の存在抜きで考えられない。篤実で前向き、元気を人に与えるタイプの田口ならではの功績と言えよう。またチームの女性軍団“トライアスロン・ガールズ”にも牽引役、世話役と目される御仁がいる。
脱線するが、堀口と田口は「私の妹が田口さんに英会話を教えるというご縁がありました」とのことだった。毎度のことながら、経営者の世界って、この人とあの人が意外な具合でつながっているもんだと感心する。これぞ「ゆかり」、合縁奇縁というものか。
ついでに。堀口の妹さんは「茜」とおっしゃる。姉妹とも、豊葦原のうるわしい色彩をもって名付けた親御さんの命名センスに、私は衷心から拍手を送りたい。玖鴎玲やら優愛やら恵梨菜やら華蓮やら瑠那やら(以上、私の息子のクラスメートより無作為抽出)、なぜ、かような名前にしたのか、私には真意も意味もようわからん。
堀口には、トライアスロンとの出会いを半ば心待ちにしていたフシがある。
「海から上がってスイムスーツのままバイクに飛び乗って漕ぎ出していく――これが、私にはとってもカッコよく思えたんです。だから、チャンスさえあれば私もトライアスロンにチャレンジしたかった」
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