日本海海戦において、なぜ連合艦隊は勝利できたのか。この胆となった局面について、司馬遼太郎さんは『坂の上の雲』で次のように描写しています。それは連合艦隊とバルチック艦隊が、まさしく激突しようとした瞬間――。
《(旗艦三笠艦長)伊地知がおどろいたのは、すでに敵の射程内に入っているのに、敵に大きな横腹をみせてゆうゆうと左転するという法があるだろうかということであった。
伊地知は思わず反問し、
「えっ、取舵になるのですか」
と、頭上の艦橋へどなりあげると、加藤は、左様取舵だ、と繰りかえした。
たちまち三笠は大きく揺れ、艦隊がきしむほどの勢いをもって艦首を左へ急転しはじめた。艦首左舷に白波が騰(あが)り、風がしぶきを艦橋まで吹きあげた。有名な敵前回頭がはじまったのである》
《要するに東郷は敵前でUターンをした、Uというよりもα運動というほうが正確に近いかもしれない。ロシア側の戦史では、
「このとき東郷は彼がしばしば用いるアルファ運動をおこなった」
という表現をつかっている。》
《それに対しロジェストベンスキーの艦隊は、二本もしくは二本以上の矢の束になって北上している。その矢の束に対し、東郷は横一文字に遮断し、敵の頭をおさえようとしたのである。日本の海戦用語でいうところの、
「T字戦法」
を東郷はとった》『坂の上の雲 八』司馬遼太郎 文春文庫
「東郷ターン」という名称で知られる、この「敵前大回頭」を東郷平八郎が敢行することで「T字戦法」が決まり、日本は勝利への大きな足がかりを掴んだ、という記述です。一般的にもこの勝利の方程式が流布しているわけですが、しかし、実は話はそう単純にはいきません。実際の海戦で実際に「T字」が完成されたかについては、専門家のあいだでいまだに見解が分かれているのです。
まず「T字」が見事成功したとする見解。
《ここに用いるのは海軍軍令部出版の『明治三十七八年海戦史〔付図〕』で精度は高い》
《大回頭からすぐに「T字戦法」に持ち込むには、転舵位置、旋回時間、間合い、T字戦法の開始位置等がよく調整されていなければならないが、「大回頭航跡図」に示す通り完璧である》『日本海海戦随想録』「航跡図は語る、敵前大回頭――百年の歴史論争に終止符を――」外山三郎 歴研
「T字戦法」は完璧に決まった、という指摘です。ところが、これとは真逆の指摘も出されているのです。
《この海戦における日露両艦隊の交角や距離について、海軍史研究家の中川(なかがわ)務(つとむ)による詳細なレポートがある。中川氏によれば、この時点で日露両艦隊の交角は五十度で、丁字戦法にいう「イ字」にあてはまる対勢にあったが、ロシア艦隊が運動に有利な単縦陣への変換を試みて約四十度東側に変針したため、交角は急速に減少し、二時十分に四十度、二時十二分に二十度、二時十三分には十度になり、併航戦の対勢に変化したため、ターン後の丁字状態の戦闘時間は、かなり「イ字」が崩れた状態を含めてもわずか三分だったという》
《少なくとも東郷ターンの直後、また以後の併航戦において丁字戦法は存在しなかったといえる》『海戦からみた日露戦争』戸高一成 角川oneテーマ21
詳細な海図や資料、証言などが残されている海戦にもかかわらず、百八十度異なる見解が出てしまう――歴史的な真実を見抜く難しさを感じずにはいられない問題ですが、このように評価が分かれるきっかけとなったのが、「天気晴朗ナレドモ波高シ」の問題でした。
機雷作戦の不可能を伝えた苦渋に満ちた内容
前回の最後でも触れたように、「T字戦法」は素晴らしい考え方でしたが、一つ大きな難点を背負っていました。敵も馬鹿ではないので、「T字」を作られては不利になることくらい、わかっていることです。こちらが「T字」を作ろうとすれば、そうはさせまい、とすれ違って離れていく列車のように、逆方向に舵を切って、スルスルと逃げようとする――。
そこで真之は、敵艦隊が逆方向に舵を切れないような手を打てばよいと考えました。具体的には、敵が逃げようとする側に機雷をばらまけば、敵は触雷が怖くて、そちらに舵を切れなくなります。すると敵は否応なく、「T字」の形に嵌め込まれていくことになる、ということです。
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