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第3話「人は人のために生きるものだ。組織のためには生きられない」

2011年3月14日(月)

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 弁護士をしていると、いろいろなことに出くわすものだ。なんといっても腹が立つことが圧倒的に多い。仕事が仕事だから当たりまえといえば当たりまえなのだが、そこはそれ、所詮は他人事だ、ということもある。なに、ありていにいえば、他人が困るから弁護士が飯のたねにありつくという面もありはするのだ。皮肉ななりわいだと思わないわけではないし、なんとも嫌な話でもある。しかし、誰でも病気になれば医者が要る。近所に泥棒があらわれたときけば、急に街角に立っている警官がたのもしく思えてくる。人というのはそんなものなのだろう。人生は楽しいことばかりではないのだ。つまるところ、弁護士は人の世に必要なのだ。それが有能であれば、一段と好ましいということになる。

 弁護士の側にしてみれば、奇妙なことや不思議でたまらないことに出あうのも仕事のうちということだ。弁護士のなかでも私はビジネス・ローヤーといって、ほとんどが企業がらみの仕事をしているのだが、ビジネスといってはみても、所詮はすべて人のやること、そして人は欲のかたまりだから、ということになるのだろう。思えば、弁護士というのも因果な仕事ということかもしれない。

 それでも、時には手をたたいて喜びたいような目にも逢う。涙を流さずにはおれないこともある。
 あの男の、あのときの相談もその一つだった。

 「おい、大木、いや大木先生、ひとつ相談にのってくれよ」
 あの男からの電話は、いつも突然だ。
 「遺言状ってやつを書きたいんだ。どうしたらいいのか、教えてくれ」
 畳みかけるように一方的にしゃべるのも、高校生のときから少しも変わらない。
 「すぐに会えないかな?」
 せっかちなのも、同じこと。もっとも、こればかりは私も他人のことはいない。私自身が、おおいにそうらしいのだ。とはいっても、自分ではよくわからないのだが。

 ―― 遺言状?

 手もとの手帳で予定をくりながら、ふっと嫌な気がした。なぜ、55にまだ手のとどかない、働きざかりといっていい年齢の男が、突然に遺言状を書きたいなどといいだしたのか。しかも、あの男は常務に抜擢されたばかりで、それからさほど時間が経っていなかった。ひょっとしたら? 悪い病にでもとりつかれたのではないか。まさか、癌では。

 電話をスピーカー状態にしたまま、私は手帳をくる手を止めた。そして、
 「よっぽど急いでるみたいだな。しょうがない、今からはどうだ?」
 「ありがたい!」
 電話の向こうから、大声で返事が返ってきた。それからワンテンポおいて、
 「でも、大丈夫なのか? 予定があったんじゃないのか?」

 もちろん、私には予定があった。それも、ずっとずっと先まで。しかし、私は後悔したくなかったのだ。友人が死の病にかかっている。それでいつ死んでもよいようにと、遺言書をしたためたいといっている。そのときに、「そいつも弁護士としてのたくさんの仕事の一つに過ぎない」などと思うような真似は、私にはできなかった。

 前にもいったかもしれないが、私は別段、内外海行という商社の顧問弁護士というわけではなかった。あの男が高校以来の親友で、そいつが内外海行という会社に勤めていただけのことだ。会社の仕事について悩みがあると、ときどき相談を持ちかけてくる。それだけの関係だった。いや、仕事をすれば、それなりの報酬も払ってくれたから、一応会社からは使ってもいい弁護士の一人程度には認知されていたのだろう。それとも、あの男のことだ。どういう方法で私への仕事の報酬を捻出したのか。実際のところはわかりはしない。

 どの会社でも、顧問弁護士ということになると、同じように会社のために働いている複数の弁護士のなかでも別格だ。すくなくとも、昔はそうだった。内外海行のような旧い時代のにおいを引きずっている会社になると、顧問弁護士も親子代々ということがある。そうなると、会社の人間も気をつかう。ご機嫌をそこねて社長になにか告げ口でもされたら、などと先回りして思ってしまうのだ。あの男からは、内外海行の顧問弁護士には、親子二代どころか、なんと三代目の若先生までいるのだと聞いていた。その話をしたとき、あの男は、三代目まで弁護士先生とはな。こいつは司法試験がびっくりするほどやさしくなったことのおかげか、と与太をとばした。

 「俺はな、二代目ってのが大嫌いなんだ。なにせ、こちとらは生まれも素性も飛びっきり悪いんでね」
 そう吐きすてた。

 「いったいどうしたんだ?」
 あわただしく私の事務所にやってきたあの男に、椅子にすわるいとまも与えずに私がきくと、
 「思うところがあってな」
と答えてから、ゆっくりと腰をおろし、
 「馬鹿な話さ」
 とうそぶいた。

 「いや、なんにしても遺言書をつくっておくのはいいことだ。だいいち、長生きする」
 私が、弁護士の癖で、「イゴンショ」と法律家風の発音をすると、
 「イゴンショ? 遺言状だろう。ま、なんでもいいや。だけど、大木、その話は俺にゃーあてはまらなそうだがな」
 といった。

 ―― やっぱりそうか。

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