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スーパードライを高齢化から救う

アサヒビール「スーパードライ」チーム

2011年3月7日(月)

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 「足元の細かな数字は上下しますよ。運不運もあるし、冷夏だとか、努力では対処できない要因もある。でも、愛飲者がどんどん年を取っているというのは紛れもない事実でした。いずれ高齢者は飲酒量が減っていく。長期的に見たブランドの状態としては、信号に例えれば黄色か、あるいは赤だったかもしれない」

スーパードライチームを牽引する梶浦瑞穂(写真:的野 弘路)

 アサヒビール「スーパードライ」のブランド・マネジャーを務める梶浦瑞穂は、自身が就任した2008年当時の「スーパードライ」ブランドを評してこう明言する。

 梶浦は振り返る。スーパードライは、バブル経済華やかなりし1987年に誕生。ピークの2000年には1億9170万箱(1箱は大瓶633mlの20本分に換算)を出荷した大ヒット商品だ。「ビールと言えばキリン」の時代、同社はこの商品で王者・キリンビールのシェアを切り崩し、ビール業界首位の座を奪い取った。アサヒビールの「挑戦者」としての力強さ、斬新さ、若々しさがそのまま重なるような商品だった。それゆえに若者たちに愛飲された。

 だが、と梶浦は言う。その斬新だったはずの商品が「高齢化」していた。

誰にとっても「自分のブランド」ではなかった

 2008年、アサヒビールは屋台骨の「スーパードライ」をてこ入れするために、1つのチームを組織した。それまで商品開発や宣伝など各部署に散在していたスーパードライに関わる社員を集めた「スーパードライチーム」がそれだ。梶浦瑞穂はそのリーダーだった。

 「社長がブランド・マネジャーだったんですよ」。梶浦は言う。アサヒビールの成長を牽引してきたスーパードライという商品は、同社にとってあまりに巨大で重要すぎた。それゆえに社長自ら営業戦略に口を出し、全社が見守る中で意思決定がなされていく。失敗は許されないから思い切った戦術は取れない。万人に受け入れられるように営業戦略を立てることが求められる。

 会社全体にとっての一番の関心事だったがゆえに、逆に言えば、誰にとっても「自分の」関心事ではなくなっていた。およそ20人の社員で、改めて「スーパードライチーム」を組織したのは、そうして希薄になった当事者意識を取り戻すことが狙いだったろう。

 「チームには、宣伝やマーケティングのプロが集まっている。私は原則論をただひたすら言うだけ。チームのメンバーが、原則論に基づいて戦術に落とし込んでくれる」

 梶浦は言う。原則論とは、「スーパードライは時代の最先端を感じさせるビールであるべきだ」というもの。にも関わらず、市場調査をすると、愛飲者に50代以上が増え、若者に聞くと「お父さんが飲むビール」といった答えが返ってくる。

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「スーパードライを高齢化から救う」の著者

池田 信太朗

池田 信太朗(いけだ・しんたろう)

日経ビジネスオンライン編集長

2000年に日経BP入社。2006年から『日経ビジネス』記者として、主に流通業界の取材に当たる。2012年『日経ビジネスDigital』のサービスを立ち上げて初代編集長、2012年9月から香港支局特派員、2015年1月から現職

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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川野 幸夫 ヤオコー 会長