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「安否不明者の身内」になった7日間

当事者になって初めて分かった2つのこと

  • 佐藤 央明

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2011年3月20日(日)

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3月11日
 東京・茅場町駅で東西線を下車したところで揺れを感じた。慌てて最寄りの階段を駆け上ると、更なる激しい揺れ。しばらく立ちすくむが、記者会見がもうすぐ始まってしまう。ビルから溢れ出る人を尻目に、東京証券取引所に向かった。

 会見中、震源地が気になりiPhoneで調べたところ、宮城県沖と知る。血の気が引く。会見が終わり仙台の親に電話をするが、当然のようにつながらない。はやる気持ちを押さえつつ、とりあえずは会社に帰らねば、という思いで東京駅に歩いて向かった。

 案の定、東京駅は人でごった返している。電車やバスは諦め、徒歩で会社まで戻ろうと決意。新橋付近まで歩いたところだっただろうか、携帯電話が鳴った。

 そこには短く一言。「私たち、大丈夫です」。母親からのメールだった。届いたのは地震発生から3時間後、メールの発信時刻を見ると、地震のわずか5分後だった。地震慣れしている親が、携帯がつながるうちにとすぐにメールをしてくれたのだろう。安堵から、体中の力が抜ける。もしかしたら通話もと思い、電話をしてみたがつながらなかった。

 茅場町を出発して2時間半、会社に戻る。そこでテレビを見て初めて、今回の震災の本当の怖さを知った。大津波が来たことは知っていたが、まさかここまでとは…。

 すぐに思い出したのは父方の実家である三陸海岸。漁業が盛んな小さな集落だ。叔父の家族が漁で生計を立てており、家も海岸から程近い。ただ、両親とも電話ができない状況で、三陸の様子など知るすべもなかった。

12日~13日
 届くまでに時間はかかるものの、両親とは1日1回程度はメールのやりとりができるようになってきた。だが、やはり電話はつながらない。

 被害の甚大さが、時間を追うごとに明らかになってくる。自分の故郷、仙台の名前がテレビで連呼される。食い入るように報道を見続け、三陸の情報を探すが、全く報じられない。

 そんな中、近隣の南三陸町の様子が映しだされた。その内容を見て絶望的な気持ちになる。無事なのだろうか?
 いや、津波の怖さは誰よりも知っているはずだ。でも、今回の津波の大きさは彼らの想像を超えるものだったかもしれない。虚しく自問自答を繰り返した。

Google、Twitterに没頭する日々

14日
 月曜日、浮かぬ気持ちで会社に向かう。仕事をしなければ、という思いは強いのだが、どうしても前に進めない。忙しく作業をする同僚を尻目に、焦りだけが募る。

 そんな時、Googleが始めた避難者リストの写真が公開されていることを知る。仕事の合間にパソコンで名簿を一つひとつ、つぶさにチェックした。だが、そこには叔父らの名前はなかった。

 21時ごろ、連絡を取り合っていた東京の従姉から電話が来る。仙台と通話ができるようになったという報告だった。慌てて携帯にかけてみると、そこには懐かしい両親の声が。電気、ガス、水道はすべて止まっているが、元気に過ごしているとのこと。泣きそうになりながら話し込む。

 やはり父の実家とは全く連絡が取れていないということだった。ただ父親は、「地震があったら真っ先に高台に向かう、という習慣は染み付いているはず。絶対に大丈夫」と気丈に話し、逆に元気づけられた。

 

コメント4件コメント/レビュー

ご心中、お察しします。東京在住の私は阪神の時、寝起きに神戸の惨状の映像を見て、関西に住む親族、友人知人の事に頭が一杯に。震災当日の、休み明け月曜日の朝一の打合せに行ったものの、資料を全部忘れていまして、打合せを延ばしてもらいました。その時に、早朝の阪神の様子がまだ多くは伝わっておらず、震度も小さめに報道されており、関西人は大げさなんだからと暢気に笑っていた打合せ先の友人に激怒してしまった事を、今も鮮明に思い出します。(2011/03/22)

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いただいたコメント

ご心中、お察しします。東京在住の私は阪神の時、寝起きに神戸の惨状の映像を見て、関西に住む親族、友人知人の事に頭が一杯に。震災当日の、休み明け月曜日の朝一の打合せに行ったものの、資料を全部忘れていまして、打合せを延ばしてもらいました。その時に、早朝の阪神の様子がまだ多くは伝わっておらず、震度も小さめに報道されており、関西人は大げさなんだからと暢気に笑っていた打合せ先の友人に激怒してしまった事を、今も鮮明に思い出します。(2011/03/22)

公共の仕事に就いている者です。共感します。非常時には私心を捨てて支援しなければいけないと教えられていますが、本当に自分がその立場になったら冷静に自分や家族のことを考えずに実行できるか・・・(2011/03/20)

"もし、自分が震災直後に現地に入っていたら、私心や躊躇なく取材を行えていたのか。おそらく無理だっただろうと思う。” ジャーナリストの仕事は伝えるという事だと思います。公平性という点は当然あるのですが、自分にかかるであろうバイアス(身内)という立場をはっきりと表明しているのであれば、特に今回のような地震等の報道はその後は受け取る側の責任に委ねていいかと思います。色々な立場での状況を伝える、伝える媒体になる事が、国内、海外の震災、原発に対する正しい認識を促進し、それに基づき、個々が自分の行動を判断すればいいと思います。 私は身内のいる記者さんを通しての、その角度からの報道、情報を是非知りたいと考えています。(2011/03/20)

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