2009年5月11日から2010年7月27日まで毎週掲載されていた連載小説「
「だめです。おにぎりもパンもカップ麺も、まったくありません」
楠原弘毅(くすはらこうき)が息を切らせて帰ってきた。手にした袋から、キャラメル2箱とかっぱえびせんを出す。
「食べられるものはこれだけでした」
地震の揺れで止まったエレベータは、午後8時になっても動いていなかった。エレベータの保守は公共の建物を優先している。オルタナティブ・ゼロがオフィスにしている住宅用マンションは後回しになる。
電車が動きそうにない。会社に泊まる用意をしなくてはならなかった。事務所に泊まることは珍しくなかったが、食料の備蓄があるわけではない。
いちばん若い楠原が買い物をかってでた。29階までの階段を往復するのはそれだけで大仕事だ。買い物に出るのも容易ではない。
「地震は東北なのになんでそんなに急に物がなくなるんだ」
旭山隆児(あさひやまりゅうじ)が首を傾げた。
「とにかくすごい人です。近所の飲食店も全部外まで行列が伸びています」
地震の揺れは大きかった。だが、幸いにオフィス内に被害らしい被害はなかった。窓の外の風景にも何も変化はない。点検待ちのエレベータさえ動けば自分たちにとっての地震はそれで終わりだと思っていた。
電車が動かないことがわかり、食事もままならないとわかった。
難民。そんな言葉が頭に浮かんだ。
数時間前まで、何不自由なく暮らしていたはずなのに、300キロも離れた地震の被害がその日のうちに横浜まで及んで来るとは思ってもいなかった。
「どうやらパシフィコを帰宅難民の為に開放したらしいです」
国際展示場の広いフロアが帰宅できない人の一夜の宿として提供されたのか。
みなとみらいに人が溢れていた。何の用意ももたぬ人が飲食物を求めてコンビニや飲食店に殺到していた。
固定電話は夜にはそこそこ繋がり始めた。携帯はあいかわらず繋がらない。
「わたし、いったん家へ帰ります。部屋も心配ですし。このあたりがだめなら、どこかで食べ物を調達してもどってきます」
風間は決断した。黄金町へ引っ越してよかった。みなとみらいからは3キロほどしか離れていない。徒歩で40分ほど、自転車通勤で15分だ。
仕事用の靴から自転車通勤用のスニーカーに履き替えた。フロアへ出た。エレベータはまだ動いていない。薄暗く無機質な非常階段を降り始めた。26階まで降りたところで、容易でないことがわかった。わずか3階分、まだ十分の一だ。
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