社団法人日本能率協会が行っている毎年恒例の新入社員意識調査。今年の結果がなかなか興味深い。最も特徴的だったことの1つが、「10年後の日本は良くなる」というポジティブな姿勢だったというのだ。
「10年後の日本社会は、より良い社会になっていると思うか」という問いに対して、2011年度入社の新入社員のうち、55.9%が「なっていると思う」と答えている。この手の意識調査は、どうしても直前の政治・経済・社会のニュースに影響されがちではあるが、かなりの割合だ。(ちなみに、2010年度は50.0%だった。)
さらに興味深いのは、同協会がニュースリリースの中で示している「より良い社会になる」理由の自由記述例だ。
「災害後の姿を見て困難に立ち向かう力があると感じたから」
「俺たちの世代が日本の復興を担うので」
「良い社会にするために、私たちが働くから」
どれも前向きであり、その多くは、自分自身に対する決意表明にもなっている。なかなかどうして、捨てたものではないと思う。
震災以前からずっと「日本におけるリーダー不在」が叫ばれてきた。新入社員の意識調査1つで、これで大丈夫、というのは、もちろん楽観に過ぎるだろう。ただ、私自身は、今回の国難の結果、必ずや将来は素晴らしいリーダーが日本に登場してくる、という思いを強くしている。
第2次大戦後、日本の復興を担ったのは、「死んでいった仲間の分まで、頑張ろう」という思いを心に秘めた青年層であり、終戦時の若年層だった。戦争指導者層のパージもあり、さまざまな企業でもリーダーの若返りが進んだことは、ご承知の通りである。
ペリー来航時に10代だった明治維新のリーダーたち
では、第2次大戦終戦後と並び、今回の震災に比される明治維新の場合は、どうだっただろう。
欧米列強の植民地化の流れが東アジア、そして日本にも及んだ時期が、幕末・維新の国難の始まりだったと考えると、1853年7月(新暦)のペリーの浦賀来航をその象徴的なイベントとしてもよかろう。以前このコラム(関連記事:変化の時代のリーダーシップ(1)「情」から「理」へのシフト)で書いたように、明治日本の構築の中心にあったのは、天保生まれの世代の人々である。
彼らが、ペリー来航時にいくつだったか。天保4年生まれの木戸孝允は、19歳。井上馨17歳、山県有朋15歳、そして、天保12年生まれの伊藤博文は、弱冠11歳であった。彼らの誰もが、まだリーダーの地位にはほど遠く、大半は何者でもなかった。
ペリー来航以降の日本の危機と国内の激動の中、多感な時期を過ごし、ある段階から、自らが倒幕・維新の運動に身を投じるに至った。その中から、リーダーが育ち、明治維新以降の近代日本の形成を引っ張っていくことになったわけだ。
当然、国難がやってきた際には、その時点で既にリーダー層だった人たちの中から、リアルタイムでその克服を率いるリーダーが選ばれることになる。しかし、その後の新時代を本格的に構築し、それ以前とは全く別次元の国や組織のあり方を作り上げていくのは、「青少年期に、大きなチャレンジを経験した人たち」であり、その中で「志を抱き、それに向かって行動する中で、リーダーとして磨かれていく人たち」だ。
第2次大戦後の幾多のリーダーたちも、幕末・維新の多くのリーダーたちも、国を揺るがす大きなチャレンジの中で、何かを感じ、自らが何をなすべきかについて、深く考えを致したに違いない。言い換えれば、困難を通じて、大きな志を抱いた、といってもよいように思える。
また、その志を果たすため、学び、自らを鍛え、そして志に向かって行動することを通じて、リーダーとなっていった。大きな困難が国や社会を襲った時には、こういった形で、将来のリーダーを生み出す一種のメカニズムが働くのではないかと思う。
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