• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

能登半島地震の被災を乗り越えた中島酒造店

切磋琢磨しつつも協力しあった酒蔵たち

  • 伝農 浩子

バックナンバー

2011年6月3日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 地震大国である日本は、阪神・淡路大震災からおよそ20年の間に、最大震度6を越える地震が7回(気象庁)も起こっている。これらの地震で被災した酒蔵は、苦難をどうやって乗り越えたのか? その足取りは、東日本大震災で被災した酒蔵はもちろん、いまだ混乱の渦中にある他業種の企業の参考にもなるだろう。

すべてのものが一度、宙に浮いた

画像のクリックで拡大表示

 輪島市にある中島酒造店は、石川県の地酒『能登末廣』を主力銘柄とする小さな蔵だ。当時も今も、地元の人々に手伝ってもらいながら、約100石の酒を醸している。杜氏でもある中島浩司社長を中心に醸す酒は、地元を中心にファンが多い。

 2007年3月25日9時42分、能登半島地震は輪島市の西南西沖で発生した。マグニチュード6.9。輪島市などで震度6強を記録した。東日本大震災と同じ3月、酒造りの終盤に起きた。

 能登半島地震の当日、外出していた中島社長が酒蔵に戻ると、蔵の煙突は倒れ、天井は抜けて、空が見えた。柱は土台から外れていた。酒粕の樽の中に一升瓶が入っていた。明らかに、すべてが一度、宙に浮いたとしか思えなかった。出来上がった酒を貯蔵しているタンクが倒れ、封が外れ、酒が漏れ出している状態だった。

仲間の酒蔵の支援に支えられる

 急を要したのは、酒がタンクから流れ出るのを止めること。そして、タンクに残った酒の滅菌処理をすることだった。酒蔵は温度管理ができなくなっており、タンクに残った酒に雑菌が入った可能性があった。中島社長は、約40キロ離れた隣町・能登町にある蔵元仲間の数馬(かずま)酒造がタンクローリーを所有していたことを思い出し、数馬嘉雄社長に貸してくれるよう頼んだ。数馬酒造で杜氏を務める四家(しやけ)裕氏は、数馬社長の許可を得た上で、すぐに中島酒造に駆けつけて回収を始めた。3日の間、片道1時間の道のりを何往復もして酒を運んだ。

 中島酒造店は、貯蔵庫に前年の酒と新酒を保存していた。絞った酒はタンクで1年間寝かせてから出荷するのが通例だったからだ。しかし、それぞれを分けて運ぶ余裕はない。吟醸酒、純米酒といった種類を分けるのが精一杯だった。
数馬酒造の協力のおかげで、出来上がっていた酒の7割弱は守ることができた。実は数馬酒造も、比較的軽かったものの被災し、酒蔵の壁が崩れ傾いていた。このことを中島社長は、後で知ったという。

 2007年の秋、中島酒造店は足りなくなった純米酒を醸造する必要に直面した。酒蔵の修理は完了していなかった。数馬社長が「酒蔵を使っていい」と申し出てくれたので、数馬酒造の一部を借りて純米酒を造った。

画像のクリックで拡大表示

「東北の地酒を絶やすな!~被災した酒蔵の復興への一歩」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

「タイム・トゥ・マーケット」で売らないともうからない。

栗山 年弘 アルプス電気社長