東日本大震災は、激しい揺れに加え、津波の威力に我々は驚愕した。一方、火災の恐ろしさを見せつけたのが、16年前の阪神・淡路大震災だった。炎は次々と家を焼き、酒蔵を焼いた。いくつもの酒蔵が酒造りを断念した。それから12年。酒造りの音が、ある灘の蔵で甦った。灘の地での酒造りを再開させたのは、まだ20代の女性だった。
早朝に発生した地震。瞬く間に火が走った
阪神・淡路大震災が起きたのは1995年1月17日のこと。多くの酒蔵は、気温の下がる10〜3月に酒造りをする。年が明けて間もないこの時期は、酒造りの最盛期だった。
兵庫県の「灘五郷」と総称される一帯は、上質の水や水運条件に恵まれ、古くから名酒の地として知られる。高級酒米である山田錦の産地として有名な三木市や三田市などにも近い。世界に知られる大手醸造会社から小さな地酒の蔵まで、51の酒蔵が集まっていた。
その中の一つ、御影郷(みかげごう)で『泉正宗』を醸していた泉酒造は、250年という歴史を紡いできた酒蔵だった。江戸時代の宝暦年間に有馬で創業。現在の灘の地に移ったのは3代目のころだ。
地震が発生したのは早朝の5時46分。泉酒造の社長、西野信也さんが当時の様子を語ってくれた。
「ちょうど、泊まりの蔵人たちが起きてくる時間で、ストーブに火を入れたところだったんです。倒れたストーブから周囲へと火が回り、醸造蔵が炎に包まれました」
瓶詰め設備のあった蔵もあっという間に延焼した。
一方、貯酒庫では、酒の入った10トンにも及ぶ貯蔵タンクが飛び上がり、倒れ、傾いた。直下型の地震だったからだ。ほとんどすべてのタンクから酒が流れ出した。時を置かずこの貯酒庫を炎が襲った。蔵自体はコンクリート造りのため焼けずに済んだ。だが、タンクに残っていた酒は、火災によって庫内温度が上昇したため、品質が低下し出荷できない状態になった。
残ったのは事務所棟と貯酒庫だけ。生き残った酒はほんのわずかだった。
西野社長は、すぐに親戚の西野金陵に連絡を入れ、援助を依頼した。香川県高松市の西野金陵は『金陵』を醸す大手酒蔵である。西野金陵の蔵で『泉正宗』を造る許可を税務署から得た。両社は以前から技術交流をしており、西野金陵は泉酒造の酒造りのことを理解していた。西野社長は、自らの管理のもと、『泉正宗』の醸造を西野金陵に委託した。
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