• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

シュレーディンガーのチェシャ猫は笑うか

正しく怖がる放射能【14】

2011年7月20日(水)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 前回は、7月8日に東京大学で行った緊急討論会から、放射線科の中川恵一さんと情報リテラシーの影浦峡さんの議論の一部と、そこから私が受けた率直な印象を記しましたが、今回は私の提題した内容について、当日とはちょっと違う道筋でお話したいと思います。

 こういう公開行事を行って、いつも思うのは、「理解と誤解」の微妙な落差です。ぶっちゃけて言ってしまうと、もしこれが履修学生さんが相手なら、誤った理解は答案に「×」をつけて「出直してらっしゃい」で済んでしまいます。

 しかし、こうした公開行事では(また、このコラムに毎週いただくコメントも同様ですが)講師の話している内容を全く理解しないまま、まるで反対の前提で「質問」する人もしばしばありますし、ひどいケースではパネルトークなどの内容と関係ない自説で演説を始める人もあって(結構しばしばあります)、フリーの挙手で、フロアから発言を求めると、必ず素っ頓狂なことが起こります。

 では、そういうものはない方が良いか、と問われれば、私の正直なところは、いや、こういうものこそ(割合は考える必要があるけれど)取り上げて行く必要があるように思っています。

常に確率的誤解を含む社会の理解

 今、教室で何らかの講義をし、その直後に、受講者の理解度を測る小テストをしてみたとしましょう。全員が満点、なんてことがあるでしょうか。運転免許の筆記試験(非常に平易なテストの例のつもりです)でも、全員満点、なんてことはないですよね。

 必ず成績にはばらつきが出る。つまり、答案には誤謬が含まれる。誤解して聞いている人が常にいるということです。

 このあからさまな事実から、考えてゆくべきではないか、と思うわけです。もしここで、何と言うか、ある種の「優等生主義」的な立場に立って「そんな初歩的なことも理解してないのでは、お話にならん」と切り捨ててしまってよいものか。

 ここで話を「現場」に移してみましょう。

 残留放射線濃度の高い地域があるとします。そこにいる人が10人いれば、10人の中には身を守るための正しい科学的な知識を身につけている人もいれば、そうでない人もいる。つまり「放射線リテラシー」の普及度には統計的なバラツキがある。

 基礎からよく分かっている人もいれば、ビックリするほど初歩的な誤解をしている人がいるかもしれない。では「ビックリするほど初歩的なこと」を理解していない人は、高リスクの状況で好き勝手に振るまわせておけばよいのか。

 仮にここで「自己責任」という言葉を「誤解」すると「自分が悪いんだから」といった話になりかねません。しかし、例えば口蹄疫などの伝染病を考えれば明白なように、少数の誤解が多数に被害を及ぼすこともあり得るのが疫学的対象というものです。

 「分かっている人」だけ自力で救われ、そうでない人を置き去りにするような形でよいのか。そもそも「分かっている人」と「分かっていない人」を画然と「マルかバツか」「1か0か」で白黒判断つけちゃっていいものか。

 社会的な対象って、そうじゃないのではないか。「公共性に配慮する」とか「環境全体を考える」とかって、別の考え方で取り組むべきものなのではないか。

基本的人権に配慮する

 過日の緊急討論で私は「シュレーディンガーのチェシャ猫は笑うか?」というタイトルのお話をしました。イントロ部分などいささか一般論に過ぎ、また哲学などの専門に傾き過ぎると思われる内容もあえてお話しました。あるいは「知的エンターテインメント」などとおっしゃる方もありました。

 実際、僕は講義やレッスンで、面白そうに話すクセがついています。なぜなら、つまらなさそうに話すと、学生の理解率が著しく低下するから。教師自身が楽しんで見せることで、音楽でも数学でも物理でも、子供は何かを感じ取って盗んでいってくれるので、これはもう、仕方ありません。

 実際、東京大学文学部哲学科主催のシンポジウムに呼んでいただきましたので、そういう内容を準備したわけでもありますが、例えば「基本的人権」って、こういうことを言っているわけです。

 特定の知識があろうが、なかろうが、何かを理解していようが、いまいが、等しく認められるべき権利、配慮されるべき事柄。

 これを「1か0か」で考えることも可能ですが、社会の実態を考慮すれば「確率的に分布した対象」が相手と思う方が、よりかゆいところに手が届く施策が打てるのではないか。そういう観点から、基本的な内容を考えてみたわけです。

コメント31

「伊東 乾の「常識の源流探訪」」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

もっと事業を効率化して、料金を下げて、消費者に貢献しないと業界はだめになってしまう。

和田 眞治 日本瓦斯(ニチガス)社長