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「滅私奉公」から「活私開公」へ

正しく怖がる放射能【16】

2011年8月2日(火)

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 年度始めの4月から「正しく怖がる放射能」のタイトルのもとで、今回の震災とりわけ福島第一原発事故以降の問題を考えてきました。再来週は日経ビジネスオンラインが夏休みで、記事の新規公開がありませんので、今回から2回分で「総論」としての「まとめ」をしておきたいと思います。

 個別の各論では、また関連の問題に触れることもあるでしょう。ここでは大きくとらえた際のものの考え方を整理してみます。

ノルウェーの事件から

 物事を大きくとらえたいと思うので、全く違うケースから話を始めてみます。7月22日にノルウェーで起きた爆弾テロと大量殺人は、欧州全体を震撼させています。たまたま滞在先のイギリスでこの報に接したため、今回亡くなった若者一人ひとりを、顔写真入りで紹介するテレビ報道などを見ています。日本では、並行して起きた中国の列車事故などの方が目立って取り上げられるようにも聞き、明らかに報道には遠近観の違いがあるようです。

 英国での報道を見る限り、今回の爆弾テロと大量射殺を結構したブレイビク容疑者は、

  1.  犯行を認めており、
  2.  特に労働党の青年大会を襲ったのは、積極的な移民政策を推し進める労働党の次世代を担う人材を丸ごと粛清することで、「移民被害」を未然に防ぎ、また社会に覚醒を促すために必要な行動だった」とし、
  3. 「無罪」を主張している。

とのことでした。白昼の官庁街で爆弾を破裂させ、罪もない人(いま報道される範囲では)7人の命を奪い、多くの死傷者を出し、さらには、着弾した際に破裂し殺傷性の高い「ダムダム弾」を1人当たり2発ずつ撃って、(やはり今報道される範囲では)92人の命を奪いながら「これは必要なことだった」「自分は無罪」と主張する「自称キリスト教原理主義右翼」の犯人が取った行動、日本社会はどのようにこれを受け止めるでしょうか。

 これはあくまで僕の想像ですが、多くの日本人は、ブレイビク容疑者の屁理屈をあれこれ聞く以前に「言語道断、即刻死刑で当然」などと思うのではないでしょうか。

 しかしここで、ノルウェー政府は、2度と繰り返されてはならない、このような事件の再発防止を念頭に、非常に慎重な捜査と審理を進めている様子です。そんな中で、犯人が弁護士を通じて発表した「自分は無罪」といった主張も報道に載る。人権への配慮が進んでいるノルウェーでは捜査の初期から情報の透明性が確保されているとのことですが、ブレイビク容疑者からは反イスラム的な発言が予想され、社会的影響を考慮して、審理は非公開で進められているようです。

ノルウェー虐殺犯の「滅私奉公」

 実は先週のこのコラム第206回のタイトル『時に「滅私奉公」はマイナスになる』は、珍しく私自身がつけたものではありませんでした。滞在先の英国でネット環境が悪く(加えて私は、クレジットカードなどすべての入った財布をスリに取られたりして面倒の渦中にあったのですが)たまたまタイトルの抜けた本文原稿だけが届いたらしく、そのあと筆者(僕のことですが)と確認が取れぬまま編集部がつけてくれたタイトルでアップロードされました。早速ツイッター上で「らしくない」とご指摘をいただきましたので、アクシデントであることをツイッター上でもご説明しました。

 「時に『滅私奉公』は」ではなく『滅私奉公』は基本、常にマイナス、かつ克服されるべきものである」。これは私が深く尊敬、共鳴する哲学者、山脇直司さんが展開される公共哲学の、根本的なテーゼです。前回そして今回と、話を整理する上で活用させていただいている「滅私奉公」「活私開公」あるいは「滅公奉私」「滅私開公」などのコンセプトは、すべて山脇教授が国際的に展開しておられる公共哲学をオリジナルに、そこから考えているものです。ただし文責はすべて私にありますので、何か瑕疵などがありましたら、責を負うのは私です。

「『滅私奉公』は基本的にマイナスになる」

 さて前回のタイトル『時に「滅私奉公」はマイナスになる』ですが、ここで「時に」と書いてしまうと、逆に「大半の時間」滅私奉公はプラスになる、とも読めてしまいますね。何を細かいことを、と思われるかもしれませんが、実は根本的な問題を考えています。

 ここで私が問いたいのは、公共(公)のために、個人(私)が「滅」っする社会のあり方を、国や政府が制度として是認するべきか、という問題です。ノルウェーのケースを入り口に、また放射線の問題を念頭に「公」と「私」の問題を考えてみましょう。

コメント24件コメント/レビュー

放射能に対する報道などをみていると、安心を補完できる主義思想とか哲学のような精神文明と、安全を裏打ちすべき科学などの物質文明がマスコミの都合でないまぜにされている。誰も国民の不安を和らげるような報道をせず、自分達の存在感のために?不完全な情報を流している。俯瞰できる人がマスコミにはいないのか、単に頭が悪いのか。いったい誰の何のためのマスコミだろうかと、それこそ滅私奉公ではないのかと。テレビでコメントする放射能の専門家?も、なるべく放射線を浴びたり体内に取り入れたりしない方がいい、というおよそ科学者らしからぬ、保身のための?発言をする。技術立国とか科学立国とか言っているのに、科学とはかけ離れたレベルで放射能の話がされ、世論が動いていく。低レベル放射線の人体の影響について科学的なデータを取ることは恐らく不可能と科学者は言うべきであるが、世界中で核実験されていた時代やブラジル・ガラパリ地方、ラドン温泉などの放射線と比べるとどうなのか、それらの疫学調査の結果から現状ではどう考えられるのか、科学的でないにせよ、正しく怖がるためにもせめてそれくらいのことは言って欲しい。(2011/08/08)

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放射能に対する報道などをみていると、安心を補完できる主義思想とか哲学のような精神文明と、安全を裏打ちすべき科学などの物質文明がマスコミの都合でないまぜにされている。誰も国民の不安を和らげるような報道をせず、自分達の存在感のために?不完全な情報を流している。俯瞰できる人がマスコミにはいないのか、単に頭が悪いのか。いったい誰の何のためのマスコミだろうかと、それこそ滅私奉公ではないのかと。テレビでコメントする放射能の専門家?も、なるべく放射線を浴びたり体内に取り入れたりしない方がいい、というおよそ科学者らしからぬ、保身のための?発言をする。技術立国とか科学立国とか言っているのに、科学とはかけ離れたレベルで放射能の話がされ、世論が動いていく。低レベル放射線の人体の影響について科学的なデータを取ることは恐らく不可能と科学者は言うべきであるが、世界中で核実験されていた時代やブラジル・ガラパリ地方、ラドン温泉などの放射線と比べるとどうなのか、それらの疫学調査の結果から現状ではどう考えられるのか、科学的でないにせよ、正しく怖がるためにもせめてそれくらいのことは言って欲しい。(2011/08/08)

「滅私奉公」を「私を滅してお上・組織のために仕える」とオーソドックスに解釈するのではなく、「私利私欲を後回しにして(優先順位を下げて)全体=公のために努力する」と”現代的にアリな拡大解釈的な”解釈するにしても・・・それは真の個人主義のベース・・・自らの頭で考え、自らが選び、自らが行動する主体性の上に成り立っているものでなければならない、という意味で伊東さんが「個人主義」という言葉を持ち出されているのだと受け取って読みました。今回の震災被災者に対する配慮や節電も、体制側のお達しや同調圧力によって、みんなが「右向け右」するのではなく、放射能に関する対応もお上の線引きに委ねるだけではなく、我々それぞれが自分で判断に足る情報を収集し、選択し、行動するものだと。国や学者はそのため包み隠さず正確な情報を提供し、正しい理解を促進する丁寧な説明をせよと。●そういえば、コパ・アメリカでアルゼンチンがイマイチだったのは、メッシの滅私が足りなかったからでしょうか。(2011/08/06)

「それでも地球は回るのだ」って有名な言葉ですが、これってパターン的には「信仰の告白(キリスト教でよくある)」だと思います。「真理への信仰」の告白でしょう。記事を読むと何か宗教をやれと言いたげな内容なので、ちょっと反発してみます。そんな古いものを持ち出すなと。■3大宗教の教祖が生きていた時代、民衆が3大宗教を受け入れたのはそれなりに真理だと思われたからだと思います。まだ科学という概念も無く、民主主義も無かった時代、まだ迷信が巾を利かせていた時代に真理と思えるものだったからでしょう。現代日本の科学信仰も似たようなものだと思えます。■3大宗教の教祖は科学や民主主義というツールも無い時代なりに、観察や思索で真理を探究して、それを人に語っていたから当時の人に受け入れられたんだと思います。でも現代人の知識で見ると間違いも多いし合わないんじゃないでしょうか。■一番合わないと思えるのが、いずれも全体主義化してるということです。異教徒を異物(少数派扱い)と見做して排斥しようとするのは正に全体主義で、ノルウェーの事件はそのまんまでしょう。過去の宗教戦争を宗教的に正義と言うなら、今回の犯人が自分は正義だ無罪だというのも筋は通ってます。もちろん現代日本人としては宗教戦争も今回の犯罪も過ち以外の何ものにも見えませんが。■現代の民主主義と全体主義化した宗教はどうにも矛盾するものだと思います。特に宗教側は自らの間違いを認めませんから、その矛盾は解消する見込みがありません。欧州を見ればその矛盾が未だに解消できず、今回のような犯罪を巻き起こしている事が明確です。宗教的な共通道徳(?全体主義)が無いからこそ深刻な対立が起こらない日本の方がいいと思います。■本当に理解すべきなのは、宗教も現代科学もまだまだ未熟な存在で、どちらにも頼り切ってはいけないという事なのではないでしょうか? 頼り切って誤ってしまったのがノルウェーの犯人であり、オウム真理教の信者であり、安全神話に頼り切って真理の探究(検証)を怠った我々なのではないかと思います。(2011/08/05)

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夢の実現にあたっては強く「念ずる」。そうした心構えを支えにビジネスの世界の荒波を渡ってきました。

後藤 忠治 セントラルスポーツ会長