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なでしこと長友に通じるもの(後編)

与えるな、掴みとらせろ

2011年8月4日(木)

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 この原稿を執筆中の先週末、インテル・ミラノの長友佑都が右肩を脱臼したとの報せが届いた。日本でもやったことのある右肩の脱臼。監督が代わり、新シーズンに向けてこれからチーム作りをしていくタイミングでの負傷離脱は、競争に晒されている選手、特に佑都のように注目の的になっている選手にとっては、ネガティブな心境になるものだ。

 しかし怪我の直後に彼からもらったメールにはこう記されていた。「もっと大変な人は沢山いる。与えられた試練を受け入れて今しか感じられないものを大事にしたいです」。彼が目標に邁進しながら身につけて来た逞しさが、如何に強固なものであるか。今回その印象を新たにした。

 4月2日、私はイタリア・セリエAの優勝を占う天王山、ACミラン対インテル・ミラノの試合をインテルのホームスタジアム、ジュゼッペ・メアッツァで観戦した。ミラノダービーが久し振りにセリエA終盤の首位攻防戦になったこともあり、試合当日のミラノの街や8万の大観衆を飲み込んだスタジアムは異様な雰囲気であった。この大一番に佑都の出場機会はなかった。

 3日後に同じくジュゼッペ・メアッツァで欧州チャンピオンズリーグ準々決勝第1戦、インテル対シャルケ04の試合があった。こちらもミラノダービーと同じ8万人の大観衆。日本でも日本人対決として注目されたそのゲームは、アウェイのシャルケが大量5得点を奪い、第2戦を待たずして準決勝進出がほぼ確実となった。シャルケの内田篤人がフル出場したのに対し、インテルの佑都は76分に途中出場し、約15分間のプレーに終わった。

 今年の冬にチェゼーナからインテルに移籍したばかりの佑都は、新天地で確固たる地位を築けずにいた。先発を約束されていたわけではなく、むしろ途中出場、先発陣の負傷や出場停止が重なった時のバックアップ的な存在であった。華々しく取り上げられた移籍だからこそ、メディアからも厳しい目で見られていた。決して順風満帆ではない、いや、この頃はそれまでで最も苦しかった時期だったと思う。

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 私は、このイタリア滞在中、佑都と食事をする機会を持った。直接会って話すのは昨年7月以来。サッカーからプライベートな話まで、打ち解けた時間を過ごす中で、彼の心の成長を感じ取った。

 この時の彼の様子は、試合に出たか否かやプレーの良し悪しで一喜一憂するというものでもなければ、冷静さを保つことに努めたりメディアの評価をシャットダウンする、というものとも違っていた。「現況の中で自分が成長出来るものは何なのか」を考えることに集中し、「出番が訪れたら自分のストロングポイントを出す」という決意を固めているようであった。

 インテルはヨーロッパでトップを目指せるマンチェスター・ユナイテッドやチェルシー、バルセロナ、レアル・マドリードといったクラブと並び称されるチーム。チーム自体は昨シーズンに比べ苦しいシーズンを送っていたが、サネッティ、エトー、スナイデル、マイコン、ルシオと超一流の選手たちが揃っている。彼らは高い報酬を得ており、その分、常に結果を求められ世間からの強いプレッシャーに晒されている集団だ。

 「トレーニングの時のスナイデルとかエトーの上手さはハンパないです。技術やスピードがあるのは勿論ですが、今まで見たことのないアイデアを見せられる時があるんですよ。一緒にトレーニングしているだけで勉強になります」

 彼は嬉々として話していたが、次の話になると目が鋭くなった。

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