忘れもしない3月11日の午後。筆者はこの記事の取材のため、JRの特急「あずさ」で山梨県の甲府に向かっていた。都内から山梨県に入った矢先、駅もない山間部で、列車が緊急停止した。東北地方で大きな地震が起こったと車内放送が告げる。揺れはほとんど感じなかったので、「東北なら震源は遠い。じきに動き出すだろう」と高を括っていた。だが、それが長い1日の始まりだった。
直近の無人駅まで移動した列車は待てども暮らせどもなかなか動き出さない。菓子パンとお茶が配られた。日付が変わる直前の真夜中、ようやく牛の歩みほどの超スローペースで進みはじめた。その日の午後14時23分に甲府に着く予定だったものの、実際の到着は翌朝の7時半だった。合計17時間も閉じ込められた計算だ。
観光業界にとっての悪夢がそこから始まった。“想定外の”原発事故がさらに拍車をかけた。ホテル、旅館、鉄道、空の便、バス、代理店、日本中でキャンセルが相次いだ。
縮小するマスツーリズム
徐々にだが、明るい兆しが見えてきたのは、5月のゴールデンウィーク(GW)明けくらいからである。JTBの子会社、ツーリズム・マーケティング研究所の中根裕・取締役は、6月上旬に次のように話してくれた。
「自粛ばかりでも、被災地の人が助かるわけでもない。使うべきお金は使わないと、景気が沈滞し、復興もままならない、というムードになってきました。私たちが震災1カ月後に実施した調査でも、消費や旅行に対して積極的になった方がいいという人が5割を超え、『娯楽を控えようと思っている』人は約25%にとどまっています(東日本大震災が消費・旅行に与える影響に関する調査)。
今なお戻らないのはインバウンドといわれる海外からの観光客です。韓国、台湾、中国といった東アジアはともかく、欧米がなかなか回復していません。日本国内では東北だけが例外です。風評被害の影響で、福島はもちろん、地震や原発の直接的な影響のない秋田などを含め、観光客の数は激減したままです」
震災の影響による日本人の旅行控えは、徐々にだが解消されつつある。しかし、中根氏は、観光業界には、震災以前から大きな課題を抱えていることを指摘する。
「現在は個人旅行が中心で、集団でバスを借り切って、物見遊山をするようなパッケージ型のマスツーリズムは頭打ちになっています。従来型のマスツーリズムに代わって新たな観光商品として注目を集めているのが、自然や人と触れ合ったり、そこでしかできない体験を重視したりする新しいタイプの『ニューツーリズム』と呼ばれる旅行です。テーマは、エコツーリズム、グリーンツーリズム、工場観光、ヘルスツーリズムなどさまざまです。地域資源の活性化にも結びつくという効果が期待できるので、国土交通省が4年ほど前から普及に力を入れています」
ニューツーリズムの実践者は20〜30代というよりは、団塊世代を中心にしたシニアの人たちが中心とされる。知識欲が強く、勉強熱心。その道の専門家について、さまざまな体験を楽しみたいという人が多いからだ。
ただ、現状は行政のかけ声のみが響き、成功例はあまり出ていないという。
「理由は3つあります。まず、商品開発に知恵と行動力のある人間が必要ですが、そういう人がなかなかいない。行政が頑張るだけではなかなかうまく行きません。ふたつ目に、都会からも人を呼べるほどの強い吸引力のある物産やソフトがないことです。最後はやはりお金の問題です。つまり、やり遂げるだけのヒト・モノ・カネがない」と中根氏は指摘する。
だが、そんな中でも、数少ない成功例はある。これから綴るのは、ワイン王国・山梨を舞台にしたニューツーリズム、その名もワインツーリズムに関する物語である。今年の夏休みは、長期滞在型のレジャーに注目が集まっている。当然、体験型のツーリズムに参加してみたいという声も増えるだろう。では、そうした体験型ツーリズムを生み、定着させるにはどうすればいいのか。この連載で考えていく。
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