池上彰さんの新連載、スタートです。池上さんが、さまざまな分野の学者・研究者を訪ねて、日本と世界が直面するさまざまな問題を、各界を代表するプロの「学問の目」でとらえなおす。いわば、大人の大学、それがこのシリーズです。
第1回でご登場いただくのは、東京大学で歴史学の教鞭をとる加藤陽子教授。加藤先生は、以前も日経ビジネスオンラインにご登場いただき、ベストセラーとなったご著書『それでも日本人は戦争を選んだ』をテキストに、なぜ日本人が負けるとわかっていた第二次世界大戦に突入したかを検証しました。
いま加藤先生にお話をおうかがいする理由。それは、東京電力福島第1原子力発電所の事故で明らかになったように、日本の原子力発電にまつわる行政、政治、企業、地域社会、そしてメディアの行動パターンがおそろしいほど、第二次世界大戦のときのそれとそっくりだったからです。
日本人はどうして同じ過ちを繰り返すのか?
どうすれば「歴史に学ぶ」ことができるようになるのか?
池上彰さんがときに「生徒」となり、ときに「対話相手」となり、加藤先生とこの問題を論じます。
池上:3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故を受けて、加藤先生が書かれたコラムを、3月26日の毎日新聞朝刊で読みました。大岡昇平の『戦争』の一節を引いていましたね。『(昭和)十九年に積み出された時、どうせ殺される命なら、どうして戦争をやめさせることにそれをかけられなかったかという反省が頭をかすめた、(中略)この軍隊を自分が許容しているんだから、その前提に立っていうのでなければならない』と。
改めてお聞きしたいのですが、なぜあの一節を引用したのですか?
大岡昇平のように「引き受ける」ことから始めるべき
加藤:大岡は、35歳となった1944年7月、フィリピンへと向かうちっぽけな輸送船に乗せられるとき、初めてはっきりと死を自覚しました。そして自分自身、軍部を冷眼視し批判したつもりになっていたけれども、本当は許容していたのだということが身にしみる。ですから、自分が戦争や軍隊を書くときには、自らがそれらを許容していたという率直な感慨を前提として書かねばならないと心に決めるのですね。歴史を外から批判するのではなく、「引き受ける」感覚とでもいうのでしょうか。

ですから大岡は、『レイテ戦記』で、非常にクールな書き方をするわけですね。出だしは、「比島派遣第十四軍隷下の第十六師団が、レイテ島進出の命令に接したのは、昭和十九年四月五日であった」となっています。
それが読む人の心に訴える。なぜでしょう。それは、大岡にとっては自らが捕虜となり渦中にいたレイテ島での戦いを、極めて冷静に書くことで、大岡が、同時代の歴史を「引き受ける」感覚、軍部の暴走を許容したのは自分であり国民である、との深い洞察が読む者に伝わるからです。上っ面だけの批判では、大岡は歴史の外部に立つ者になってしまう。それが『レイテ戦記』にはないからです。
震災と津波は天災ですが、今回の原発事故はその全貌が明らかになるにつれて、人災の側面が極めて大きいことがわかりました。
では、その責めを負うのは誰か? 国か? 東京電力か? いや、それだけじゃない。事故が起きる当日まで、電力の大量消費の便利さを積極的に享受していたのは、私たち一人一人ではないのか。となると、大岡昇平に倣って、私たちは、まさに己が干与した事態について「引き受ける」ことから再スタートしないと、建設的な議論もましてや本当の復興も難しいのでは、と思ったのです。
池上:第二次世界大戦のまっただ中、大岡だけでなく、大半の日本人は、戦争を許容していた。それと同じように、現代の私たちは、消極的ながら原子力発電を許容していたのではないか――というわけですね。
加藤先生の著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』のタイトルを借りると、戦争を選んだ日本人は、「それでも、原発を選んだ」ことになります。
メディアに籍を置く人間として自責の念があるのですが、戦時中、当局以上に戦争を礼賛していたマスコミと同様、現代のマスコミも原発を許容し、あるいは他人事と考えていた側面があります。
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1950年長野県生まれ。慶応義塾大学卒業後、1973年NHK入局。1994年よりNHK「週刊こどもニュース」でお父さん役として出演。2005年3月にNHKを退社し、現在はフリージャーナリストとして活躍。著書に

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