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震災で見えた、人々が殺到する「魅惑の自販機」

震災に負けない人々(14)原田英明・デリコム社長

2011年9月6日(火)

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 どこにでもあるのが自動販売機。あまりにも身近な存在で、意識することすらあまりない。道路沿いや住宅地の中だけでなく、会社や工場の中にも設置されている。多くの自動販売機は飲料メーカーが運営しているが、中には独立系のオペレーター企業の自販機もある。この自動販売機の市場は1兆円を超える規模だ。消費者から見れば、飲料品を購入するための重要な拠点であり、大きな流通チャネルとなっている。

 今回は仙台に本社がある独立系の自動販売機オペレーターのデリコムを取り上げる。社長の原田英明氏に、事業内容から被災地で自販機が果たしている役割、今後の事業モデルなどを聞いていった。はっきり言って、「目から鱗」の内容である。

内藤:地震の被害はありましたか?

1割近い自販機がダメになりました

原田:揺れは非常に大きかったですね。ただ、その瞬間に考えたことは、「後片付けが大変かな」と思ったぐらいでした。そして、家に帰ろうと思って田んぼの中の道を自動車で走ってると、遠くに真っ黒な塊が向かってくるが見えました。最初は油でも湧き出したのかと思いました。それが津波だったんです。車を飛ばして、何とか逃げ切ることができましたが、危機一髪でした。

 地震や津波の被害はいろいろありました。自販機は約4000台持っています。耐震基準はとても厳しくて、それに沿って設置していますので、実際に倒れたものはありませんでした。屋内に設置していて、激しい揺れによってズレたものは一部でありました。でも、倒れたものは1台もありません。

 しかし、水没したり、稼働できなくなったものは数多くありました。また、自販機まで到達できないものもあります。そうした理由で、300台以上の自販機が使えなくなりました。まあ、うちの自販機は海岸沿いのものが少なかったので、この程度の被害で終わったのだと思っています。

 福島県いわき市にも営業所を持っていますが、原発の被害の方が大きいと感じています。退避区域に入ることができません。その中にもかなりの台数の自販機を持っています。その被害状況は、まだ正確には把握できません。

 そこには地震で止まった工場も相当数あり、その建物内にも自販機があります。これらも300台とうい数字に入っています。いわき市では売り上げが6割の水準まで下がっています。これからもっと下がるのではないかと心配しています。

 事務所や倉庫は建物は無事でも、中はぐちゃぐちゃです。商品は1500ケースが被害に遭い、売り物にならない。それを運び出すのに、全従業員を動員して半日かかりました。全て手作業です。

 飲料メーカーの物流センターも被害を受けました。飲料メーカーは、大量の商品を廃棄したようです。5万ケース、10万ケースという数字を聞きました。関東にある工場も多く被災したようです。従来の8割程度しか商品を供給できないようです。関西方面にも影響が出ていると聞きました。

 商品の供給能力が下がっているので、もし水道水から放射線でも検出されたら、商品がますます回ってこなくなるのを恐れていました。とにかく、商品が動きはじめ、倉庫に入ってきたのを見た時、メーカーとの信頼関係がとても大事だと認識しました。

 36台ある配送トラックの中の1台が津波に流されました。ちょうど仙台港にある自販機に商品を詰めに行っている時に津波に襲われました。ドライバーは水に浸かりながら、何とか建物の4階まで逃げ切りました。なかなか水が引かなかったので、次の日の朝まで待って、歩いて会社まで戻ってきました。

 社員2人の自宅も津波に流されました。自家用車を流された者もいました。多賀城に住む女子社員は、地震の後、帰宅しようと思ったら途中で警察に「津波が来るから逃げろ」と言われて、素直に指示に従ったようです。しかし、結果的に首まで水に浸かって、ガソリンスタンドの塀につかまって、3時間ぐらい経ってから自衛隊の船に助けてもらったようです。

 私の家は大丈夫でした。ただテレビ1台と食器の全てが壊れました。その程度の被害で済みました。地震の直後は、電気が来ていなかったので、食事はカセットコンロでお湯を沸かしてカップメンを食べてましたね。一応、会社には毎日出勤していました。ただ何かやることがあったわけではありません。

 社員には、「何とか生きろ」「まず家のことから手を付けろ」と言いました。どこの家もぐちゃぐちゃでした。外に出て2次被害に遭うことも怖かったんです。外に出て、戻れなくなることが心配でした。電気も来ていなかったので、事務所にいても仕事はありません。だから、自宅待機の指示を従業員には出しました。

 従業員の誰もが、自販機が動いてないと分かっていました。「何とかしないと」と考えてくれたんです。1日や2日の休みであれば「楽ができたな」と思うかもしれません。しかし1週間も続くと、「働く場所がなくなる」と不安になってきます。

 だから、「事業は続ける」ということは、はっきり伝えていました。各営業所の所長にも、一人ひとりに直接伝えてもらいました。「指示が出たら出勤するように」と。その代わり、給料はきちんと払うと約束したんです。そのことが重要ですからね。

内藤:被災直後も、必死で自販機の営業を続けたそうですね?

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「震災で見えた、人々が殺到する「魅惑の自販機」」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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