彼女は土のにおいがする。星が読める。畑の小鳥は、彼女がそばにいても気にせず虫をついばむ。ふいに詩の一節が浮かぶ。「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ・・・」宮沢賢治がなりたかった「デクノボウ」がここに居る。
本人にしてみれば当たり前に生きてきただけなのだろうけど。なんたって自らの人生を「煮えただねぇで煮ぃひりだ(煮詰まった)」と笑うのだから。そういえば、怒鳴る姿も泣きわめく顔も見たことがない。大切な想いは心の奥にしまって、ときどき取り出して見せてくれる。
田んぼと畑、飼っていた馬や家族の世話。19で嫁いでから働き通しの58年間。仕事を「ゆるい」(楽だ)とか「ゆるくない」(辛い)で量ったことはない、と言う。人の役に立つなら、やるだけ。シンプルな原則だけど、貫くのは簡単じゃない。
誰に褒められるでもなく、「自分が満足すればいい」と、淡々と畑仕事をする様子は、眩しい。
拝啓ばあちゃんさま。私もいつか、あなたみたいになれますか。
この、ジワーンとくる文章は、今年オープンした八戸ポータルミュージアム「はっち」が、震災前の2月に発信した「八戸レビュウ」の一部です。
八戸ポータルミュージアム「はっち」の新しさ
「八戸レビュウ」は、はっちのオープニング企画のひとつ。「八戸って何だろう?」へのアンサーです。八戸に生きる、さまざまな年代の88人。その日常的生き様に共感した人、つまりファンたちが綴った言葉が前述の文章なのです。
その88人を、梅佳代さん、浅田政志さん、津藤秀雄さんの3人の写真家が、文章に触発されて撮影。その多くが手書きで書かれた文章と共に、展示されました。


一見、よくありそうな企画ですが、写真家はあくまで媒介、インタフェース。ファンの思いと生き様を体現化する市民が主役で、写真家は映像をインターフェースとして、彼らのエネルギーを引き出していく役目。
その展示会には、作品は存在せず、八戸に生きている人たちのエネルギーが溢れています。そこに行けば、八戸の人に出会える。これこそが、「はっち」の狙ったアートでした。
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