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リーダーは希望の言葉を伝えてほしい

第2回 東北の開発モデルが導く日本の将来

  • ジェラルド・カーティス,翻訳 村井 章子

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2011年8月25日(木)

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第1回から読む)

(日本語の文章の後に、英語の原文を掲載しています)

 私は被災地で多くの人と会い、悲しい話、身のすくむような話をたくさん聞いた。南三陸町の佐藤町長からもじっくり話を聞く機会があった。地震が発生した当時、町長は30人ほどの職員とともに町役場にいたという。揺れがおさまると、津波の襲来を予想して全員が屋上に上がった。津波がおそろしく獰猛で屋上より高くなるとは、知る由もなかったのである。

 だが津波の高さは場所によっては40メートルにもなり、海岸線から10キロ以上内陸まで達したところもある。町長ら数人の職員は屋上の一方の側へ押し流され、鉄柱にしがみつくことができた。そして波が押し寄せる間、なんとか柱につかまっていることができたが、やわなフェンスしかない側に押し流された職員は、フェンスもろとも波にさらわれてしまった。役場にいた中で、助かったのは佐藤町長を含めて10人だけだった。

 写真やテレビの映像は、南三陸町を襲った災厄のすさまじい規模を十分に伝えているとは言い難い。そこにあった家も商店も、ほとんど何一つ残っていないのである。波止場沿いにあった魚市場、魚肉処理場、缶詰工場も、港に停泊していた船の大半も、破壊され、あるいは甚だしい損害を被った(宮城県庁の発表によると、同県に登録されていた漁船1万3400隻のほぼ90%が全半壊したという。ちなみに難を逃れた船の大半は地震直後に沖へ乗り出し、津波を乗り越えていた)。

 南三陸町を始め各地の避難所を回って最初に強い印象を受けるのは、テレビを見た人もすぐに気づいたと思うが、人々がとても秩序正しく行動していることだった。これが、日本なのだ。人々は信じられないほどきちんとしていて、礼儀正しかった。日本人でない人からすれば、実際信じられないだろう。

 室内に入るときには、もちろん靴を脱ぐ。トイレには専用の清潔なスリッパがある。他人の迷惑になるほど大音響で音楽を聴く人は一人もいない。段ボールで仕切られたすぐ向こうで暮らしている隣人のじゃまにならないよう、誰もが小さな声で話している。そして自分の持ち物は、わずかばかりとは言え、狭い居場所の周囲にきちんと整理されている。家と財産が流され、多くの場合愛する家族をも失って以来、被災者はその狭いところで数カ月も暮らすことを強いられてきたのだ。

一人で仮設住宅に入るぐらいなら、避難所にいたい

 6月末時点でも、まだ9万人以上が避難所で暮らしていた。政府は8月までには仮設住宅の建設を終えると約束している。そこには2年間入居でき、その間に最終的な落ち着き先を決めるという段取りだ。だが津波被害に遭った地域では人口の30%以上が65歳以上と見込まれており、家を失ったお年寄りが仮設住宅に移り住むのは、そう簡単ではない。

 政府は津波の届かない地域にある公有地に仮設住宅を建設してきた。その多くは公立学校のグラウンドや、公民館・町営文化施設などに隣接する土地である。だが政府が岩手・宮城・福島3県で予定している7万2000戸以上の仮設住宅を建てるには、公有地が足りない。海岸沿いの多くの町では、高台は傾斜地で住宅に向かないか、私有地である。政府は地主からの借り上げの交渉や傾斜地の整地をしなければならず、どちらも時間と予算がかかる。

 また、仮設住宅を早期に建設し避難所から被災者を移すこと自体も、新たな問題を生んでいる。政府は仮設住宅が完成次第、入居者をくじで決める方式を採用した。一見すると、公平に見えるかもしれない。だが、日本の農村地帯における基本的な共同体である小さな村に生まれたときから暮らして来た人々は、このやり方に不安を募らせている。

 ある高齢の女性が、その理由を的確に説明してくれた。生まれてこの方ずっと一緒だった友達から離れてどこかの仮設住宅に入るぐらいなら、避難所にいたいというのである。村のみんなが一緒に移れるときまでここを出たくないと、その女性は語った。一人ぼっちになりたくない。どこかよそに移ったときに、そこからかかりつけの医者まで連れて行ってもらうのを息子に頼り切るのもいやだ、という。こうした思いを抱いているのは、この女性だけではない。多くの人から同じ不満を聞いた。

 政府のやり方は、平等を期すあまり、貧しい過疎地域にいまも残る共同体の強い連帯意識と齟齬を来している(国民1人当たりGDPで見ると、日本の47都道府県中、宮城県は32位、岩手県は39位である)。それだけでなく、高齢者固有の問題にも配慮していないように思われる。大船渡市のある地主は、私にこんな話をしてくれた。

 この人は高台にある所有地を仮設住宅用に市に提供したのだが、そのとき市との契約書に、「住宅を他の被災者に提供する前に、地元の村民全員が入居する機会を与える」ことを主張したという。住むところを失った人々に雨風をしのぐ場所を提供するだけでなく、共同体の絆を保ち高齢者の孤独感を和らげるためには、官僚が好む画一的な方法よりもはるかにこまやかな配慮が必要である。

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