ワインツーリズムの活動が始まって以来、笹本貴之、大木貴之らは「行政や業界団体とは一歩、距離をおく」というルールを課していた。そうした既存の仕組みに頼らずに、地域の自立を目指すのが活動の本義だからだ。
でも、活動が広がるにつれ、このルールを窮屈と感じるようになった。ルールを壊すきっかけになったのが、山梨県庁の広聴広報課に在籍していた佐藤浩一(1970年生まれ)との出会いだった。

山梨県大月市出身で、県内の高校を出て都内の大学に進学。卒業後に県庁に入庁した。その佐藤が何人かのメンバーとともに、2003年に立ち上げたのが「得々クラブ」(当時は「得々情報交換会」)。県職員のスキルアップを目指した勉強サークルだった。
「メンバーが得をする(徳を積む)情報を共有する」「山梨をよくするためにできることをする」「多様なネットワークを構築する」など、7つの目的を掲げ、2003年年末に10名程度で始まった会で、現在はメーリングリスト登録者の数で300名を超す規模になっている。当初のメンバーは県職員中心だったが、現在はそれ以外の広範な人々にまで広がっている。
得々クラブとワインツーリズムの活動は重なりあう面が多々あり、両者が接近するのにさほど時間はかからなかった。得々クラブのメンバーに笹本と佐藤の共通の友人がいて、2005年の秋、佐藤と、笹本・大木の会談がフォーハーツカフェで実現。それぞれのスタンスと連携の可能性についての議論が交わされた。
結果、山梨ワインのPR誌「br」 を県立の美術館や博物館のショップに常備し販売する、ということが実現した。そのために佐藤は県庁内のキーマンを次々と2人に紹介した。誰を動かせば何がどう動くか。誰に、どうやって相談すべきか。佐藤は県庁内の複雑な人事力学を噛んで含めるように教えた。それが功を奏したのだ。
ワインロードフェスティバルからワインツーリズムへ
そうやって2人が知り合った職員の中に、中央省庁から県庁に出向してきていた課長がいた。ワインツーリズムの活動を気に入り、「君たちがやってきたことは行政にはできないことだが、本来は行政がやるべきことだ」と評価してくれた。佐藤は話す。
「笹本さん、大木さん、それに私とその課長の4人で、フォーハーツカフェの2階で、酒も飲まずに、朝4時まで語り合いました。山梨の何が駄目で、何が評価できるか。県としては何ができるのか。立場の異なる4人でしたが、互いに本音をさらけ出し、まさに“魂の交流”ともいうべき時間でした」
実は当時、県庁内で、同じような動きがもう1つあった。
「若手職員のモチベーションを上げるために、知事向けの事業提案を募り、最優秀というお墨つきが得られたものを次年度に事業化するという試みが行われていたのですが、2007年度のそれに、まさにワインツーリズムとほぼ同じ、ワインロードフェスティバルという提案が、ある職員から出され、最優秀に選ばれていたのです」(佐藤)
これは“天の配剤”なのか。それとも、ワインツーリズム山梨の地道な成果は結局、お役所にさらわれてしまうのか…。
幸いなことに現実は前者だった。職員からの提案は高評価を得たものの、その職員が独自に考えを深めたものではなく、既にヨーロッパにある旅のスタイルをそのまま移植したような内容だった。しかも、モチベーション向上策といっても、提案した本人が責任をもってやり遂げるという形ではなかった。内容からいって管轄は観光部になるが、「誰がやるのか」という肝心な事項が宙ぶらりんになってしまっていた。
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