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第9話「58歳の男にとっては、20歳の女も42歳の女も同じことだ」

2011年9月12日(月)

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 いつだったか、先代社長の南川丈太郎がこんなことを房恵に言ってきかせたことがあった。多分、いつもの表参道のマンションで、バルセロナ・チェアに斜めに座ってのことだったか。
 南川があの男を社長後継に指名した直後だった。いや、ひょっとしたらもっと後のことだったかもしれない。

 「房恵、どうやらオマエ、近ごろ、あの男のことが気になってならないようだな。
 いや、いい、いい。それで当たり前だ。俺はもう長くない。オマエはこの俺に、ふつうの人間がしてくれる以上のことをしてくれた。感謝している。とても感謝している。

 だがな、房恵。あの男に惚れるのだけはやめたほうがいい。
 俺は嫉妬で言うのではない。もう、そんな年齢じゃあない。わかっているはずだ。今の俺は、オマエの先行きのためを思っているだけだ。それだけの心だ。

 いや、いや、そうはいってみても、ひょっとしたらそうではないのかもしれん。この俺の心の奥底に隠れているもの、本心は、嫉妬なのかもしれん。もしそうなら、そいつは、誰にも避けることなんかできはしないものなのだろう。
 もし嫉妬なら、俺が死んだ後、オマエがあいつに抱かれることへの嫉妬といった単純なやつじゃない。人が歳をとってしまうこと、歳をとってしまわねばならない公理のようなものへの、耐えられないほどの嫉妬だろう」

 「そんな話、聞きたくない」

 房恵はそう言うのがやっとだった。南川の言うことは当たっていなくもなかったのだ。
 南川は、房恵の言うことなど無視して、続けた。

 「いや、俺のことはいい。オマエのことだ。
 他人に『惚れるな、惚れたらとんでもない目に遭う。あの男は危険な男だ』と言われたところで、恋する気持ちがおさまるものではないことくらい、よくわかっている。俺もそうだった。それも、何度もそうだった。他人にも言われた。自分でも言いきかせた。だが、すべて無駄だった。

 だから、房恵、気をつけなさい。あの男はオマエの気持ちにこたえてくれるようなやつじゃない。
 あの男は、愛だとか幸せだとかとは無縁の人間なのだよ。オマエなぞにはわかるまいが、俺にはわかる、ようくわかる。あの男の見ているところ、視線の先は、決して他人と交わりはしない。気の毒になるほど孤独な男だ。いや、実に悲しい運命の男だと言ってもいい。ひょっとしたら、毎晩、一人きりでむせび泣いているのかもしれない。涙がこぼれおちるのを拭いもせずに、な。

 昼間の、明るい、人を引きつけて離さない、生き生きした表情からは想像もつかないような、そんな世界が、あの男の心のなかで拡がっていて、自分でも手が付けられない。そうなのだろう。そんな人間がいるものだ。俺にはわかる。ヒトラーを打ち倒したあのウィンストン・チャーチルは、自分のなかに頑固に住みついて決して去ろうとしないそうしたやつのことを『黒い犬』と名付けていた。

 房恵。だから、俺はあの男を私の後継者に選んだんだ。あの男は俺と同類だからだ。わかるかな? あの男なら、この組織を、俺がしたようにまとめ、引っぱり、騙したりすかしたりして、継続することができるからな。

 あの男にかかると、失敗をしたときでも許してやりたいという気持ちに誰でもなるのさ。そういう意味では、あの男はいつでも俺の心を読みきっていたようなものだ」

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