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『遠野物語』の柳田國男も農業の規模拡大を主張した

生産性向上を目指し小作料金納制を説く

  • 山下 一仁

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2011年9月20日(火)

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 柳田國男とは、日本民俗学の父、『遠野物語』の著者である、あの柳田國男(1875~1962)である。実は、柳田國男が初めて仕事の対象として研究したのが、農業であり農政学だった。1900年、柳田國男は東京帝国大学法科大学卒業後、農商務省(現在の農林水産省と経済産業省の前身)に入省した。自らが家庭で経験した不幸をきっかけに、農村・農家の貧困を解決しようと志したと言われる。

 読者は、日本の慣習や伝統を研究する民俗学者なら、「農業や農村にマイナスの影響を与えかねない農産物貿易の自由化に反対したにちがいない」と思われるだろう。しかし、実はそうではない。今回は、柳田國男の農政思想から、今日の農業問題を解決するカギを探っていこう。

 農政を研究するためには、農村を知らなければならない。柳田が登場するまで、農村研究は歴史家が書いたものを資料として使っていた。しかし、歴史家がものした資料だけでは書かれたものが少ないうえ、目を引く事件に偏りがちで情報量が十分ではない。柳田は、民間に残っている伝承や習慣を把握することで、農村の日常的な部分の情報を補い農村をよりよく研究できると考えた。これが日本の民俗学の起こりである。農政学が民俗学につながった。

日本経済思想史上の奇跡~農業基本法に半世紀先んじる

 柳田國男が農商務省にいたのは1年余り、農政学についての著作を著したのは、農商務省時代を含むわずか数年にすぎなかった。しかし、その短い間に柳田は、農業と工業の違いをことさら強調し小農論に偏りがちな当時の農学者の考えと大きく異なる、「日本経済思想史上の奇跡」(シュンペーターの高弟、東畑精一博士)とも言える農政改革構想を発表している。

 その内容は、農業の生産性向上と、規模拡大による構造改革を構想したもの。つまり柳田は、半世紀後の1961年に成立する農業基本法(関連記事)に半世紀も先んじていたのである。東畑が柳田の考えを「奇跡」と称した所以はここにある。

 柳田は農政改革構想の中で「大農」でも「小農」でもない中農養成策を論じた。明治の農政思想には2つの流れがある。一つは大農論、もう一つは小農論である。大農論はアメリカなどと同様の大規模農場を育成すべきであると主張した。これに対し、当然ながら、農業の現状を維持しようとする勢力は小農論を主張した。勢力的には小農論が圧倒的多数であった。

 柳田は特に、当時の学界や官界で有力であった寄生地主制を前提とした農本主義的な小農保護論に異を唱えた。当時、現に存在した「微細農」ではなく、農業を独立した職業とならしめる規模――2ヘクタール以上――を持つ農業者、すなわち中農を考えた。日本の農業が、零細農業構造のために世界から立ち遅れてしまうことを懸念し、農業構造の改善を訴えた。具体的には、当時、有力だった「農村から都市へ労働力が流出するのを規制すべし」ではなく、農家戸数を減少させ農業の規模拡大を図るべきであると論じた。

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