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「原子力の父」の称号を背に狙った総理の座

正力松太郎の大キャンペーンから政界引退まで

  • 山岡 淳一郎

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2011年9月28日(水)

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 権力者にとって原発が魅力的なのは、導入すれば「経済成長」と「軍事力増強」の二兎が得られると映るからだろう。原発を造れば、大量の電力供給が可能になり、「豊かな生活」への「夢」が膨らむ。核兵器開発に必要な技術にも手が届く。

 実際には技術的制御が難しく、放射線の危険がつきまとう。使用済み核燃料の処理方法は確立されておらず、莫大な設備投資が必要だ。原子炉の寿命が尽きたあとの廃炉まで含めれば、ライフサイクル・コストは高くつく。事故が起きれば、経済的前提は吹きとぶ。 

 それにもかかわらず、日本だけでなく、米国やフランスはじめ世界中で原発政策が推し進められてきたのは、核分裂エネルギーの途方もないパワーが権力者の欲望を刺激し、決定的な事故が起きるまでは「夢」が語り続けられるからだ。

「原発って、マッチョイズムなんですね」
 と、当連載の担当女性デスクに指摘され、ああそうだったのか、と改めて気づかされた。私自身、力への憧れがないといえば、嘘になる。力への信仰が原発にはへばりついている。逆にいえば、力がなければ不安だから、原発にしがみつく。不安は焦りをよぶ。

 戦後復興から成長期の「昭和モデル」は、明日は今日より必ずよくなるという希望と、過去の悪夢(敗戦)から逃れたい焦りが結びついて、生み落とされた。だから戦中世代は後ろを見ず、直線的に突き進んだ。欲望を全肯定するパワーで高度成長という階段を駆け上った。そんながむしゃらな先人の成功がなければ、いま、ここの私も、ない。単に誰かを断罪するのではなく、フクシマの痛みの根を知るために歴史をひもといてみたい。

 日本の原発導入、つまり「昭和モデル」の立ち上げで決定的な役割を果たした人物がいる。元警視庁警務部長にして読売新聞社主、正力松太郎(1885~1969)である。彼にとって、原子力は宰相の座を射止めるための武器でもあった。正力が仕掛けた戦略とは、どのようなものだったのだろうか。    

(文中敬称略)

* * * * *

 1954(昭和29)年3月、原子力予算が成立した。学界は原子力研究の準備が整っておらず、混乱をきたしたが、政官主導で原子力利用の扉が開いた。

「第五福竜丸」と反核運動の高まり

 と、その矢先、衝撃的なニュースが世界を駆けめぐった。国会で原子力予算案が浮上する前日の3月1日未明、ビキニ環礁から160キロ離れた海上でマグロ漁をしていた「第五福竜丸」は、大量の「死の灰」を浴びて被曝した。23人乗りの漁船が母港の焼津港に帰ったのは14日。船員の「太陽が西から昇ったような火の玉を見た」という証言をもとに、16日、読売新聞は米国が極秘裏に行った水爆実験を世界に先がけて報じた。

 被曝した漁船員の頭髪は抜け、赤血球が著しく減った。全員が東大病院と国立第一病院に入院する。無線長の久保山愛吉は半年後に「原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい」と言い残して亡くなった。原子力はビキニの名とともに再び現実の恐怖に変わった。

 この状況で、米国のダレス国務長官は「日本人は原子力アレルギーにかかっている」と突き放した。さらに被曝した船員たちを「スパイだ」とも口走る。

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