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優勝へ数%近づくための決断はこうして下された

危機を好機に変えてこそリーダー(後編)

2011年9月29日(木)

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 Jリーグヤマザキナビスコカップは3月からスタートして8か月間を戦い抜く長丁場(今年は震災の影響で方式は変わっているが)。6月までのグループリーグを勝ち抜くと決勝トーナメントとなる。準々決勝と準決勝は各々ホーム&アウェイの2試合づつを行い、トータルスコアを競う。

 ご存知のように3月頭からはJリーグが始まる。したがって、シーズン中の基本的な日程は、週末がJリーグ、水曜日がナビスコカップということになる。2009年はワールドカップアジア最終予選の年。代表の強化試合や最終予選が入っている週末はJリーグではなくナビスコカップが組まれている。

 このため、代表選手がナビスコの試合では不在ということが多々あった。チームにとっては痛手であったが、日頃ベンチを温めている選手が試合に出場するチャンスでもあり、日本代表候補が数人いたFC東京にとってもベテラン・若手を総動員して全員で戦っていくことが必須の大会であった。

チームを襲った数々のアクシデント

 チームには波がある。連勝を続けられる時と、勝ちから見放される時。7月の準々決勝2試合、9月の準決勝2試合はチームが好調だったこともあり実力を出し切れれば勝てる、という自信に溢れた戦いが出来た。シーズンスタートで苦しんだチームは3ヵ月過ぎて戦い方が確立されて来た。夏過ぎ、チームはJリーグでも上位をキープし、あわよくば終盤優勝争いに絡みたい、絡める可能性がある、と感じていた。

 しかし、一方でクラブは数年前から抱えていた負債により、このシーズン半ばに経営難に陥っていた。シーズン途中に中堅、若手選手を他クラブに出しながら、ここに来て唯一無二のストライカー、カボレを中東に放出せざるを得なくなった。来日2年目にして日本のサッカーにフィットして来たこともあり、絶対的なスピードを武器としていたカボレは相手からは最も恐れられていた存在だった。相手守備陣が彼に注意を払わざるを得ない状況で日本人攻撃陣がお互いの特徴を生かしていた攻撃パターンは、9月6日のナビスコ準決勝を最後に見直さざるを得なくなった。

 その後10月17日Jリーグ柏レイソル戦でチーム内トップスコアラーである石川直宏選手が4点目を入れた直後に左膝靭帯損傷という大怪我に見舞われた。更に10月25日、長友佑都がJリーグ清水戦で右肩脱臼。肩を固定してプレーしようとしたがトップパフォーマンスを出すことは困難と判断しすぐ交代させた。

 一方、11月3日のナビスコ決勝を迎える時点でリーグ戦首位を走る川崎フロンターレは怪我人が全て戻って来て万全の体制となったと報道されていた。当時リーグ戦5位で代えの利かない3人を失ったFC東京はフロンターレの牙城を崩すことは出来ない、というのがナビスコカップ決勝の大方の見方であった。

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