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売れない酒を全国に売る

「失われた20年」で売上高4倍~酒商山田

2011年10月11日(火)

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 「酒商山田」は広島市宇品にある小さな酒屋で、その地で戦前から商売してきた。今の社長の山田淳二氏は酒類販売免許業者として祖父、祖母、父と数えて4代目になる。

 この酒商山田が営む酒類販売は大変に厳しい市場環境にある。少子高齢化による飲酒人口の減少と生活様式の変化で、アルコール摂取量は1999年をピークに減少、特に日本酒の消費量は最盛期の33%まで縮小し続けているという。一方、規制緩和から新規参入が相次ぎ、競争は激化の一途を辿る。

 こうした中で、酒商山田は1989年から経営改革に取り組みはじめた。かつては地域住民や企業と取り引きしていた家族経営の零細企業であったのが、20年を経て、今では全国160の酒蔵と取引し、日本酒130銘柄、焼酎276銘柄、アイテム数にして4800を取り扱うようになった。そして、地元の個人客だけでなく、全国の飲食店など1000を超える納入先と取り引きしている。これにより、4代目が戻る直前の1988年度の売上は1億6000万円弱だったのが、今年度は6億円になる見込みである。

 地域の零細企業の一つだった酒商山田がどのようにして躍進していったのか。

家族経営の零細酒店「酒商山田」

 途中までの歴史は日本のどこにでもある零細商店の歩みだった。

1988年当時の店舗

 1931年に現社長の祖父が創業。戦争の深刻化とともに経済環境は厳しくなり、小さな企業が個別に事業を続けることが難しくなっていた。そこで終戦の2年前になって、地元の企業3社を統合して経営基盤を強化し、酒類販売に加え、船舶へ食料品等を納入する仕事も手掛けるようにした。しかし、原爆で創業者が亡くなったため、終戦とともに船舶納入業を切り離し、統合した企業を元に戻し、祖母が2代目の店主として地域密着の小さな酒屋を営み始めた。1971年になって祖母が体調を崩し、銀行員をしていた父親が3代目の経営者として戻ってきた。そして、酒の販売とともに、コーヒーやバナナ等の食品販売、中元や歳暮といった進物の取り扱い、さらに飲食店や地元企業との取引等の多角経営を始めた。

 3代目の父親が1988年に病魔に襲われ、当時はまだ東京でサラリーマンをしていた淳二氏が1989年に4代目として戻り、その時から今に続く経営改革が始まった。そして、2004年に個人商店から企業経営へ転換し、これからの時代に求められる酒屋を創ることを逆転思考で目指すようになり、この20年間で取引先数や売上を大きく伸ばしてきたのだ。

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「売れない酒を全国に売る」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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