「伊東 乾の「常識の源流探訪」」

ほんの20センチの断崖絶壁と劇団『態変』の『喰う』

身近な足を考える5

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2011年10月12日(水)

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 しばらく前の事ですが、ご記憶の方も居られると思います。2003年1月17日、東大阪市の近鉄大阪線・俊徳3号踏み切りで、車椅子に乗った38歳の女性が段差で脱輪、立ち往生したまま脱出できず特急電車にはねられて亡くなるという事故がありました。

 事故は幅が3.1メートルしかない踏み切り内、たった20センチの台形の窪みに脱輪したために起きたもの。近鉄はただちに窪みをアスファルトで埋め、安全地帯を示すゼブラゾーンを設置するなど、対策を立てて実施したようでした。しかし近鉄に限らず、その後も踏み切りでの車椅子の脱輪、あわやという事態はしばしば起きています。

東淀川の「開かずの踏み切り」

 また日本全国のあちこちに「開かずの踏み切り」として地元では有名な踏み切りがありますね。通勤通学の途上ここで待たされ、遮断機をくぐって無理に横断しようとする人が事故に巻き込まれるケースも多数報告されています。「開かずの踏み切り」は単に「閉まっている時間が長い」だけでなく「開いている時間が短い」事も多く、車椅子や高齢者、障害者が通行してひやひやさせられることもあるようです。

JR京都線・東淀川駅の「開かずの踏み切り」

 実は僕がいま舞台「喰う」のリハーサルで毎週末通っている劇団「態変」稽古場は新大阪にあるのですが、そのすぐ近く、JR京都線の東淀川駅にも開かずの踏み切り」があります。

 前回もお話したように「態変」は役者全員が身体に障害を持っています。東淀川の踏み切りを渡る人も多く、通行には難儀するということでした。

 私たちが普通に歩いていれば気がつかないかもしれないたった20センチの踏み切り内の段差が、車椅子にとっては絶望的な断崖絶壁として立ちはだかってしまう。そんな、身近にあって気づかない足元を、劇団「態変」の公演「喰う」の稽古の話とあわせて、少し考えてみたいと思います。

一言で障害といってもさまざま

 劇団「態変」の舞台「喰う」も伊丹AI・HALLでの10月14、15、16日の本番がいよいよ迫ってきました。「態変」を主宰する金満里さん以下メンバー全員、集中したリハーサルに熱が入ります。先ほども記した通り「態変」の役者さんは全員、身体に重度の障害を持っており、コンディション調整がなかなかタイヘンです。

劇団「態変」のリハーサル(左)金満里さんと。(右)おのおのの役者が自分の身体をフルに生かして固有の表現を探って行く。稽古場「メタモルホール」にて

 例えば、同じ「手足が動かない、あるいは動きにくい」人でも、小児マヒや筋ジストロフィーのように力が入らない「脱力系」の人もいれば、脳性麻痺(CP)で不随意に手足が突っ張ってしまう「緊張系」の人もいます。また脳性麻痺にもアテトーゼ型、失調型、痙直型、固縮型、混合型など、いろいろな症状に分かれています。

 また後天的な事故で障害を負われた方も居られます。ちなみに僕の亡くなった母も最晩年、脳梗塞で半身不随の状態となり、最期の1年ではありましたが、一緒にリハビリに励みました。

 四肢に欠損のある方も居られます。僕は「サリドマイド」による四肢発育不全が社会問題になったジェネレーションなので、子供の頃よく遊んだ中にも軽度の欠損障害を持つ友達がいました。

 サリドマイドについては、西ドイツ、グリュネンタール社がサリドマイドの入った睡眠薬を発売したのが1957年、61年には催奇性が報告されるようになり、同年11月に製造停止、製品が回収され始めます。日本ではドイツに遅れること1年、大日本製薬が「イソミン」の商品名で睡眠薬を発売、次いで胃腸薬にサリドマイドを配合し「妊婦のつわり予防」に用いられたことから被害が拡大、すでにドイツの実態が明らかになっていたにもかかわらず、実際に大日本製薬が販売停止と製品の回収を始めたのはグリュネンタール社に遅れること300日近くとのことで、その後も薬害は出続けました。

 現在の「態変」にはサリドマイドの役者さんは居られないそうですが、劇団には多様な身体をもつ役者が参加しています。そしてどの人も、そのあるがまま、その身体ならではのありようで舞台を作って行きます。

 ネット上に「態変」のプロモーションヴィデオがYouTubeにあがっていますのでリンクしておきましょう。1983年の設立から28年、大阪を拠点としながら国内各地、海外もドイツ(ベルリン、シュトゥットガルト)、スイス(ベルン)、イギリス(エジンバラ)、ケニア(ナイロビほか3都市)、マレーシア(クアラルンプール)、シンガポール、インドネシア(ジャカルタ)、台湾(台北)、韓国(ソウル、慶南)と世界的に活動を展開し、圧倒的な評価を得てきました。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。



このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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