「原発は何処から、何処へ――」

原発事故からの復興は自治の精神で

前福島県知事・佐藤栄佐久氏に聞く(下)

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2011年11月2日(水)

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前回の対談から読む)

山岡:地震と津波、原発事故という複合災害に見舞われた福島を、これから、どうやって立て直していけばいいのか。野田佳彦総理は「福島の再生なくして、元気な日本の再生はない」と断言しました。しかし首都圏で生活している僕らは、じつは福島のことをよく知りません。再生を云々するには、もっと福島を知る必要がある。たとえば、原発サイトがある双葉郡。爆発が起こる以前の双葉地域を知る人は少ないと思います。

原発のある双葉郡が潰れたら福島全体が立ち行かない

佐藤:双葉郡はね、福島のとっても大切な「要所」なんですよ。双葉郡には300の鎮守の森、神社があって、300のコミュニティーが存在しました。集落があり、伝統と田畑と、人びとの暮らしがありました。それが、原発事故で崩壊したのです。

佐藤栄佐久(さとう・えいさく)
1939年福島県生まれ。58年福島県立安積高校卒業。1963年東京大学法学部卒業。郡山に戻り家業の郡山三東スーツに入社。社団法人郡山青年会議所に入会。78年日本青年会議所副会頭に就任。83年参議院議員初当選。87年大蔵政務次官就任。88年福島県知事就任。5期18年間に、北海道東北知事会長はじめ、全国知事会副会長、全国過疎地域自立促進連盟会長などを歴任。2006年9月27日辞職。

 原発サイトの周りが、もし人が住めなくなって潰れたら、福島県全体が立ち行かなくなる、と言っても過言ではない。それほど重要な場所なのです。浜通りの双葉地域が生きているから、南のいわき市、北の南相馬市や相馬市が地方都市として機能できています。しかし双葉地域が潰れたら、いわきも南相馬、相馬も完全に陸の孤島と化して、産業や文化の血流は止まってしまう。

 一例をあげれば、阿武隈山地では質、量ともすごい材木が採れます。県知事時代、阿武隈の杉の梁を浜通り経由で大都市圏に出すのを、感心して眺めたことがあります。いわき市の材木市場は阿武隈山地が控えているので成り立っている。でも、双葉地域が使えなくなれば材木の搬送路は途絶し、市場を維持できなくなる。さまざまな分野で似たような現象が起きる恐れがあります。

 双葉地域を失う怖さを、まだみんな感じていないんですよ。

山岡:そうなのですか。原発事故の印象が強すぎて、サイト周辺には負のイメージがつきまとっていますが、本来、あの地域は福島の「聖域」のような場所だったのですね。除染がようやく始まって、頭が痛いのが放射性物質を含む残土や廃材などの処理です。これらを原発サイトに運んで処分すればいい、というような声もちらほら聞こえてきますが……。

佐藤:私は、それに一番危機感を持っています。日本は核燃料サイクルを標榜しながら、高レベル放射性廃棄物の処分の見通しが立っていない。これを機に原発サイトに核のゴミを運びこんで中間貯蔵すればいいなんてことになれば、それは半永久的に固定化されるでしょう。二度と住民は帰れなくなる。「棄民」につながります。菅直人さんは、総理をお辞めになる直前に残土の中間貯蔵は福島県で、などと最後っ屁のように言って、首相官邸から去りました。政府の行き当たりバッタリの政策に翻弄されてはいけません。

山岡:福島にとって、再生させねばならない福島らしさ、かけがえのないものとは?

佐藤:面積が広い福島には「7つの生活圏(福島市など県北、郡山市など県中、白河市など県南、会津、南会津、南相馬市など相双といわき)」があります。7つの生活圏といえば、他県の人には分からなくても、福島県民はピンとくる。津波が来ようが、原発が爆発しようが、7つの生活圏を守らねばなりません。県民の暮らしを破綻させてはならない。

 そのために「5つの共生(自然、世代間、人と人、地域間、価値観の共生)」という理念のもと、われわれは県政に取り組んできました。自然の美しさは、福島のだいじな資産です。だから80年代末のバブル期、全国に先がけてリゾート地の景観を守る条例をこしらえ、辛うじて猪苗代と磐梯山の美しさを保ちました。当時、計画中のリゾートマンションが沢山あり、1つは間に合いませんでしたが、あとは全部ストップさせました。完成したマンションは、新聞にこんな全面広告を載せました。「もう、猪苗代湖にリゾートマンションはできません!」と、デカデカとね……。

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著者プロフィール

山岡 淳一郎
(やまおか・じゅんいちろう)

山岡 淳一郎1959年愛媛県生まれ。ノンフィクション作家。「人と時代」「21世紀の公と私」を共通テーマとして、政治、経済、近現代史、医療、建築など幅広く執筆。福島県を中心に被災地と永田町、霞ヶ関を対比的に取材。4月初旬、『放射能を背負って 〜南相馬市長桜井勝延と市民の選択』(朝日新聞出版)を刊行予定。『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄 封じられた資源戦略』『国民皆保険が危ない』『原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜』ほか著書多数。ブログはこちら。(写真:GOH FUJIMAKI)



このコラムについて

原発は何処から、何処へ――

戦後、原子力は日本にどのように受け入れられてきたのか。その歴史は権力の構造抜きに語ることはできない。米国を支点としたこの権力構造は「昭和モデル」と言うことができる。日本の昭和を牽引した原子力と権力の関係を振り返ることから、原子力の将来は見えてくる。このコラムでは、われわれが共通認識として持っておくべき原子力の歴史をひもとく。

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