• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

ネルソン・マンデラの半生から垣間見える「可能性」

カダフィの最期とグローバル・シナリオ(2)

2011年11月4日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 今年1月のチュニジア政変以降のエジプト~アラブ動き、8月のリビア・トリポリ陥落に続く先月のカダフィ大佐の死、そして、それとほぼ前後する形でアフリカ・中東の3人の女性に授与されたノーベル平和賞・・・こうした一連の流れをみて、どうしても「グローバル・シナリオ」という言葉を思い出さざるを得ません。

 「シナリオ」などといっても、何か陰謀説のようなことを言っているのでありませんので、念のため(笑)。歴史が動く、あるトレンドのようなものは明確に存在するわけですよね、例えばそれが「金融恐慌」であれ「冷戦」であれ。そしてまた、そこで時の政権群が対策を立てるのも当然のことで、それがニューディールであれ変動相場制導入であれ通貨統合であれ、ある問題状況があり、それへの打開策として模索、実施されてきたものにほかなりません。

 そもそも「ポリシー」政策という西欧由来のコンセプトは、そのようにして策定、実施して効果を上げてきたものであるはずです。さてしかし、日本の過去56年(保守合同以来)とか、66年(敗戦以来)とか、歴史を振り返って、何がどの程度まともに計画され、奏功してきたかを考えると、いろいろ疑問に思う事も少なくない気がします。

 今回は我が国の現状の話題ではなく、前回を上の句とする「グローバル・シナリオ」ではありますが、無論それらは日本と無関係なわけでありません。

 とりわけ「ノーベル平和賞」の動向を見、そこで思い出したのはアルベルト・ルツーリのことでした。

画期的だったアルベルト・ルツーリのノーベル平和賞

 アルバート・ルツーリ Albert Lutuliの名は今日の日本でそんなに広く知られていないかもしれません。1960年にアフリカ黒人として初めてノーベル平和賞を受賞した黒人解放運動指導家です。

 1898年、現在のジンバブエで生まれたルツーリは、先祖代々の土地である南アフリカでキリスト教の洗礼を受け、宣教師として活動しながら高等教育を受けて教員となり1928年にはアフリカ教員協会の専従スタッフに、33年には会長に就任、教育から出発して黒人解放運動に深く関与してゆきます。

 1944年にはアフリカ民族会議に参加、52年には同議長に就任して、当時のアフリカ植民地で一般的だった黒人差別法に非暴力不服従で対抗する戦略を指導、56年にはアフリカ民族会議として自由憲章を制定、広く国際的に運動を指導し、62歳だった1960年にノーベル平和賞を受賞、晩年はイギリスのグラスゴー大学学長として活躍し、列車事故が元で1967年に亡くなります。

 ルツーリ以前のノーベル平和賞は欧州あるいは米国の白人、あるいは国際赤十字など当時は白人中心だった国際組織(ちなみに女性はジェーン・アダムス Jane Addams や組織人を例外に圧倒的多数は男性)が並んでおり、ルツーリへのノーベル平和賞は非常に画期的、ないしはノーベル委員会としてもひとつの決断と姿勢を示す意味があったと思うのです。

コメント1件コメント/レビュー

時の流れがよく分かりました。(2011/11/07)

「伊東 乾の「常識の源流探訪」」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

時の流れがよく分かりました。(2011/11/07)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

夢の実現にあたっては強く「念ずる」。そうした心構えを支えにビジネスの世界の荒波を渡ってきました。

後藤 忠治 セントラルスポーツ会長