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第11話「世間はどう思うかな。このコンプライアンスの時代に」

2011年11月14日(月)

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 「あなたにこんな話をしなくてはならなくなるとは。
 正直言って、想像もできなかった。
 いや、この正直言って、ていうのは僕の大嫌いなフレーズだったな。
 でも、わかってくれるかな。この僕自身が、思ってもみなかったってことだけは確かなんだ」

 社長室のソファだった。あの男が、一人の初老の男を前にして、沈み込んだ声で話していた。両方の肩をがっくりと落としている。心なしか、体もうつむき加減になっていた。

 あの男の前に座っているのは、副社長の澤田慶介だった。入社はあの男よりも早い。5人がけソファの真ん中で、右肩を背もたれに乗せ、右腕から下を後ろ側に垂らしている。両脚を大きく組んでいた。鮮やかな緑色の短いソックスの上のほう、ゴムの部分がめくれ上がっていて、すねの素肌が大きく露出していた。なんとも白い。そして、日本人にしても極端に体毛が少ない。ふっと、女性にしたいような皮膚だ、とそのときあの男は感じたそうだ。

 コーヒーを二つ、ひっそりと運んできた古堂房恵が、息をつめるようにして部屋から出た。ドアがぴたりと閉まるのを音で確認してから、あの男は、ふたたび重々しく口を開いた。澤田のすねを見つめたままだった。

 「澤田さん、僕はあなたにこいつを言いたくない。これだけは言いたくなかったんだ。
 しかし、内外海行の社長である僕には、これをあなたに言う義務がある。副社長であるあなただからこそ、私のこれから言うことを真剣に受け止めてほしい。
 会社はあなたの決心を必要としている。

 僕個人としては、あなたに会社にいてほしい。僕はあなたが好きなんだ。わかってくれているでしょう。これまで、どれほど二人でいっしょにやってきたか。どの仕事をとってみたって、二人であればこそうまくやりおおせたってことばかりだ。一人だけでなんて、なに一つできやしない。そうだ、僕だけでは、なにもできなかった。
 お互いに、よくわかっていることです」

 澤田はひとことも口をきかない。無表情なままだった。顔の筋肉にすこしも動きというものがなかった。

 あの男は、目だけで視線を澤田の脚から顔に移すと、ゆっくりと続けた。
 「だが、今の僕には個人としての裁量は許されない。
 内外海行での僕のパーソナル・ライフは死んだ。そう思っている。
 僕が個人としてなにを望むかは、まったく重要でない。それ、が、会社にとって有益かどうかだけが基準だ。会社として許されないとすれば、それで終わり。僕個人の好みは、完全に無視される。

 あなたのことがその好い例だ。
 オヤジはもういない。オヤジがいれば、僕があなたを会社に置いておいたとしても、僕の決断ではないと皆が思ってくれる。だから、許される。

 だが、オヤジはいなくなってしまった。私を止められる人間は、もうこの会社のなかにはいない。だから、僕は、個人として振舞うことはできなくなってしまった」

 あの男の二つの目が、こんどは顔の動くのにつれて窓の外に向けられる。窓ガラスを、暗い空から弾き出されたもののように、無数の雨粒が激しく打っていた。澤田は、ソファにゆったりと構えたまま微動もしない。あの男は、窓ガラスに向かって小さな息を鼻から洩らすと、視線を澤田に戻した。

 「澤田さん、副社長を辞めてください。この場で辞表を書いてください」
 辞表という言葉に、一瞬、澤田が両方の眉を寄せた。脚を組みかえると、肌色をした靴の裏側が大きくあの男の前に突き出される形になった。

 澤田は、心もちアゴを上げると、低い、落ちついた声で、
 「君にそんなことを言われる理由はない」
 自分に言いきかせでもするように、呟いた。

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