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サダムとカダフィの人生航路が見せるもの

カダフィの最期とグローバル・シナリオ(3)

2011年11月9日(水)

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 春先のチュニジア、エジプトの政変以降、ビン・ラディン殺害、9.11十周年、ノーベル平和賞そしてカダフィ大佐の死と、一連の動きとそれへの先進国の対応を見るとき、第一に思いついたのは「開発独裁Developmental dictatorship」の終焉、あるいは少なくとも変質ということでした。

 実は開発独裁という概念を当てはめる上では、先に名を挙げた国々には必ずしも典型的とは言えないものも含まれています。開発独裁というとまず思い浮かぶのはフィリピンのマルコス政権、インドネシアのスハルト政権、韓国の朴政権などアジア資本主義圏の発展途上国で、これにブラジルやチリなどラテンアメリカ諸国の例が続き、さらに冷戦崩壊後の旧ソヴィエト連邦各国(という以前に崩壊直前のゴルバチョフ政権なども開発独裁的な色彩の濃いものと思いますが)が想起されます。

 しかし、こと中東から北アフリカ圏を考えるなら、かつて欧化政策を進めたパーレヴィ王朝のイラン、サダム・フセイン政権のイラク、現在末期状態にあるサレハ政権のイエメン、そしてカダフィ政権のリビア・・・といった国と支配者たちの名が思い浮かびます。

サダム・フセインの場合

 サダム・フセインのケースを思い出して見ましょう。湾岸戦争以降「サダム」といえば悪の象徴のように喧伝され、最終的にはイラク戦争末期の2003年に米軍によって身柄を拘束、しかし米国ではなく「イラク特別法廷」で大量虐殺などの容疑で裁かれ06年に死刑判決、処刑直前の模様を写した動画が世界中に流布されたのもいまだ記憶に残っているところでしょう。

 しかし「サダム」が「悪役」に転じるのはあくまで湾岸戦争つまり冷戦終結以降のことであることに注意するべきでしょう。それ以前のサダムには別の役割が宛てられていました。

 サダムがイラク大統領に就任したのと同じ1979年、隣のイランではシーア派のホメイニ師を指導者とするイスラム革命が成立、極端な反米外交を展開し、にわかに緊張感が高まります。

 果たして、翌1980年9月、サダムのイラク軍によるテヘランへの空爆を皮切りにイラン・イラク戦争の火蓋が切って落とされました。

 いまだ冷戦中の1980年といえば、一方でモスクワオリンピックの年でもありました。前年に起きたソ連のアフガン侵攻に抗議する形でオリンピックがボイコットされ、私は当時高校1年でしたが、多くのアスリートがむなしい思いをしたのを思い出します。山口百恵が引退し、なぜかわかりませんが、もんたよしのりの「ダンシング・オールナイト」がバカ受けしてロングランのヒットとなり・・・あれから30年以上も経ってしまったのですね。

国際社会が応援したサダム

 おっと、閑話休題。エジプトのムバラク政権、イエメンのサレハ政権などもこの次期相次いで成立し、その後の30年間「安定した統治」を維持します。

 出来たばかりのサダムのイラクは「シーア派イスラム革命」の波及・飛び火を恐れる各国の後押しによってイラン・イラク戦争を戦います。イラクに石油の利権を持つ西側各国はもとより、国内に多くのムスリムを抱えてきたソヴィエト連邦、中華人民共和国までもがサダムのイラクを応援し、武器などの援助を行いました。

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