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ユーロ圏の命運と「帝国の逆襲」封じ

カダフィの最期とグローバル・シナリオ(4)

2011年11月15日(火)

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 このところ「欧州から見た」あるべき次世代世界秩序、というお話をしているわけですが、この間にも欧州経済を巡っては、非常にシリアスな事態の推移がありました。ギリシャのユーロ圏脱落の可能性、そしてイタリアでは財政健全化法案が下院通過後ベルルスコーニ政権が退陣、モンティ新内閣のもとで債務危機脱出に向けての取り組みが始まるところです。

 さて、前回まで中東の動きをお話して、どれくらい多くの読者が興味をもって下さったかよくわからないのですが、この問題、欧州が今後どのように生き残って行くか? という命運と、表裏一体だと私は思っています。

 あえてそれを一言で言うなら「帝国の逆襲」あるいは「帝国の逆襲封じ」とでもいいましょうか・・・そのあたりを考えてみましょう。

パレスチナ問題事始め

 問題を考える上では、パレスチナ紛争の原点を考えてみるのが一番の早道と思うので、そこから話を始めましょう。

 今日に至るパレスチナ紛争の原点は第一次大戦中の欧州の「多重外交」もっと露骨に言えば「二枚舌」「三枚舌」に理由があります。

 第一次大戦のさなかの1917年11月、イギリスの外相アーサー・ジェームズ・バルフォアは英国ユダヤ人社会の盟主であったライオネル・ロスチャイルドに「パレスチナにおけるユダヤ人居住区建設」に賛成する書簡を送りました。今日のイスラエル建国に繋がる決定的なこの所管は「バルフォア宣言」として知られるものです。一方で英国はパレスチナにユダヤ人国家建設を約束した。

 ところがこれに先立つ1915年、同じイギリスの駐エジプト参事官ヘンリー・マクマホンは、イスラム教の中心聖地であるメッカの太守で、始祖ムハンマドの子孫でもあるフサイン・イブン・アリーに対して、パレスチナにおけるアラブ国家「ヒジャーズ王国」の建設を後押しする約束も交わしていたわけですね。これを担保にフサインの「武装勢力」は蜂起してアラビア半島西部、ヒジャーズ地域を制圧します。

 いまここでは複雑な経緯ははしょりますが、つまるところフサインのヒジャーズ王国はたった9年で倒れてしまいます。メッカを含むヒジャーズ地域はイブン・サウード率いるワッハーブ派イスラムの支配(現在のサウジアラビア)として落ち着きます。

 一方、フサインの息子ファイサルはイラク王に、やはり息子のアブドゥッラーはヨルダン国王になります。イラク王ファイサルの孫であるファイサル2世がカーシム准将のクーデターによって僅か23歳の生涯を閉じて「イラク王国」は「イラク共和国」に体制が変わります。しかし、たった6年後、クーデターによって初代大統領となったカーシムは、汎アラブ主義政党であるバース党(アラブ社会主義復興党)叛乱によって失脚、処刑されてしまいます。このバース党、汎アラブ主義を掲げますが、イスラム原理主義とは対立しており、イスラム勢力の台頭に対して、西側先進国が対抗勢力として支持、応援してゆくことになるのでした。またこのバース党が西側資本とパイプを太くして、前回も触れた「開発独裁」の器もとなってゆく訳で、他ならぬバース党からサダム・フセイン政権も出ていることに注意しておきましょう。

 さらにヨルダンのアブドゥッラーの孫が、中東問題でしばしば名前の挙がった「フセイン国王」ことフセインI世ビン・タラール、その息子が現在のヨルダン国王、アブドゥッラーII世で、この人は私と年配が変わりません。これらの歴史的経緯は決して昔話ではない、その実感をもつのが大事かと思います。

 さて話がややそれましたが、イギリスは一方でバルフォア宣言でユダヤ国家を、フサイン・マクマホン協定でアラブ国家を、各々応援するという多重外交、いわば二股を掛けていたわけですが、実は話はさらに複雑な背景をもっていました。

第三の密約「サイクス・ピコ協定」

 一方でユダヤ国家建設を約束し、それ以前にアラブ国家設立を保証してフサインに蜂起を促したイギリスは、これら二つの約束以前にフランス、そして革命以前の帝政ロシアとの間で中東の分割統治を約束していた。「サイクス・ピコ協定」として知られるもので、さきの二つの密約以前の1915年から16年にかけて、イギリスの中東専門家マーク・サイクスとフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコは中東地域をどう分割するかというアウトラインを先に考え、列強の間での山分け案をちゃっかり決めていたのです。いわゆる「三枚舌外交」として悪名の高い、この政策のために、現在に至るパレスチナ問題が起きている・・・なんてあたりまでは、しばしば中東問題の解説に書いてある話ですが、ここからが僕なりのの「常識の源流」への探訪という事になります。

 さて、突然話が飛ぶようですが激動の2011年、10月から11月に掛けての今の時期、欧州は歴史的転換点に立つかもしれない状況に直面しています。冒頭にも触れたユーロ圏から脱落しかけているギリシャの問題、イタリアの財政危機、通貨統合以降EUが迎える最大の危機といって過言でないでしょう。

コメント3件コメント/レビュー

現在の西欧の政治・経済的事象を無理やり過去の歴史にはめ込もうとしているような印象を受けます。グレコ・ロマンや神聖ローマ帝国ではなくて、現在の、ソブィエト崩壊後の欧州が舞台である点を敢えて無視することのメリットは一体何なのでしょうか?トルコ共和国が決してEUに参加できないであろうことを予言するためですか?(2011/11/15)

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

現在の西欧の政治・経済的事象を無理やり過去の歴史にはめ込もうとしているような印象を受けます。グレコ・ロマンや神聖ローマ帝国ではなくて、現在の、ソブィエト崩壊後の欧州が舞台である点を敢えて無視することのメリットは一体何なのでしょうか?トルコ共和国が決してEUに参加できないであろうことを予言するためですか?(2011/11/15)

ちょうど、塩野七生さんのローマ史を読んでいたのですが、現在と結び付けて考えていなかったです。なんとなくすっきりしました。(2011/11/15)

さすが伊東さんだと思います。ユーロ危機の解決策が経済ではなく歴史的理念で探られているという事情を明晰に述べられていると思います。とは言え、少々EUが妙なことになっているのは、ブルガリア・ルーマニアは加盟済み、一方、クロアチアは未加盟だがスロヴェニアは加盟済みと旧ユーゴスラヴィアはまだら模様ですが、ギリシアを含め、現状は、必ずしも、西ローマ帝国の旧版図と一致しているわけではない。イベリア半島のレコンキスタに対し、バルカンでは、カトリック、イスラム、ギリシア正教などが混在しているのは、やはり、オスマン・トルコの政権の強さの名残でしょうか。しかし、余り歴史的経緯に注力すると、EUは、オスマン・トルコだけでなく、東ローマ帝国の継承者を自認する勢力、つまり、ロシアとも対峙しなければならないことになりましょう。実際、その通りなのですが、そうすると、ブルガリアだとかルーマニアだとかの正教の国々の帰趨が問題になりましょう。やはり、ギリシアは、対イスラムだけでなく、対ロシアでも、EUには切り離すことはできないのではないでしょうか。また、伊東さんの図式で不明なのは、果たして、イスラムの(准)統一世界の再興の芽があるのかということです。トルコがEUに加盟できるかどうかが議論になったことがありますが、ご指摘の背景も無関係ではなかったとは思うものの、西欧にとって、ギリシアとイスラエルがイスラム再興を阻止する布石なのかどうか。(2011/11/15)

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