「伊東 乾の「常識の源流探訪」」

統合通貨とその破綻を考える

カダフィの最期とグローバル・シナリオ(6)

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2011年11月30日(水)

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 日々動きつつある欧州と中東の情勢を睨みながら今回のシリーズを書いていますが、11月下旬に入ってユーロ圏を巡る情勢は一段とシリアスなものになってきました。

 私自身を含め「最終的にはユーロ堅持の方向で行くだろう、いやそうに違いない、それ以外の見識などあってはならない」という、どこか根の底の安心のようなものをもっていた、というか持ちたかった。しかし、今回は本当にまずいかもしれない「信用不安」が、このところの推移の中、急速に自分自身の中にも湧き上がってきたのは、否めない所です。

 欧州通貨不安周りは、それこそ本腰を入れて取り組まねばならぬ話題で、いまここで多くを記せませんが「仮にユーロが崩壊したとして・・・」という予測が紙面に出るようになり、そこでは様々に物騒な「経済予測」がなされます。

 が、私が一番恐れるのは「経済に由来する経済を超えた影響」露骨に言ってしまえば紛争や戦争にほかなりません。

  現在の状態からすぐに暴力紛争に直結する、と言っている訳ではありませんが、例えば日本の昭和初期を考えても、金融恐慌、総合商社・財閥である「鈴木商店」(その末裔は現在の日商岩井に繋がりますが)の破綻などと前後して、世論の右傾化、軍部の台頭と満州事変以降の紛争拡大、5.15,2.26の暴走と、明らかな負の歴史が刻まれています。ちなみに今の時期「独裁」などと看板を掛けて選挙キャンペーンをはる人もいたようですが、欧州なら冗談にもなりません。

 ともあれ、戦争は究極の経済活動、閉塞した周辺国間の対立と、その背後の思惑によって、(とりわけ欧州東部辺りから)火の手が上がる、というのは、ひとつのパターンになってしまっている。

 戦争の回避。これは現在のEUを作り上げてきた物のわかった首脳すべてに共通することで、ベネルクス3国(ベルギー、ネーデルランド=オランダ、ルクセンブルク)などは最も端的と思います。が実際には「自分の足で立っているのはドイツ、フィンランドとオランダまで」などと言われる状況の中、イタリアやスペインのみならず、すでにフランス国債も投売りに近い状態となり、メルコジMerkozy (=メルケル+サルコジ)と呼ばれた独仏協調の中、24日にはこのメルコジ双方が「イタリアが破綻すればユーロは崩壊し、欧州統合プロセスも頓挫する」(時事通信)と強い危機感を示した事が、外にもれ出てきてしまいました。

 ここでイカンなぁ、と思ってしまうのは、時事電によればこの独仏圧力、イタリア首相府の閣議報告からダダ漏れして来たんだそうで、何といいますか・・・。

 さて、メディアからは「大阪ダブル選挙結果へのコメント」なんて話は振られて来るのですが、ガバナンスや財政処理といった観点から見るとき「大阪」選挙で各候補が喧伝した政策のレベル、欧州のシリアスな動きと見合わせて、比較することも出来ません。欧州委員会も各国政府も十分「無策」を指弾されていますが、膨大といってよい数、各国の優秀な人材が二の策三の策を持ち寄りながら推移を注目している状況で、キャッチーな一過性の思いつきみたいな選挙公約とは話のレベルが違います。でも国内メディアはそうした話題をむしろ聞いてくる。そのほうが話題性に富み、視聴率も上がり・・・ということなのでしょうが、いま日本はそういうことに時間を使うべき時なのか・・・?

いま誰が「植民地」を抱え込みたいか?

  各紙は「ユーロ圏の命運はドイツ・メルケル首相の決断とECB(欧州中央銀行)の去就に懸かる」などと伝えます。じっさい「ユーロ債」の「共有化」にドイツは極めて慎重だし、それには故なしとはいえない歴史があると思います。

 やや乱暴に煎じ詰めて言えば、ドイツが絶対に忌避したいのはこれから先、半恒常的に「食えない地域」の経済の尻拭いを「稼ぎ頭」のドイツが面倒を見続けさせられる状況と言えるでしょう。長らく分裂状態が続いたドイツが、プロイセンを盟主に統一国家となったのは日本の明治維新とほぼ前後する1871年、まだようやく140年が経過したばかりです。それまで「プロイセン王国」「バイエルン王国」などと分かれていた各領邦が「小ドイツ主義」で「勤勉な(プロテスタント)ドイツ」として固まって出来たのがこの近代帝国で、カトリック圏のオーストリア、つまり旧神聖ローマ帝国の復興は旗印にしなかった。

 「勤勉なカトリック圏」バイエルン産業界を背景に擁立された「第三帝国」本家本元の「ファシズム」はどういう施策を実施したか? アウトバーン敷設をはじめとする公共事業、源泉徴収など税体系の革新など、一方でさまざまな独自の努力も重ねながら、結局国内の矛盾を吸収することが出来ず、ベルリンオリンピックだなんだと国威発揚もしたけれど、結局のところ再軍備、仏国境・ラインラント進駐から戦争に活路を見出すしか手がなかった。ここで辛酸を極めたアルザスやロレーヌ、ルクセンブルクなどの人々が中核となって作り始めた戦後のEEC、ECそしてEUの歩みでありました。

 ここで思い出すのが「世界分割」の成れの果て、です。第二次世界大戦後、戦勝国だったはずの国々、例えば「戦いには負けたが戦争には勝った」はずの大殖民地国家フランスが戦後、高度経済成長の恩恵に一番浴したと言えるでしょうか・・・?

 そうじゃないですよね。地球史上、人類史上最大最速の高度成長は、敗戦国である日本と西ドイツ、植民地というお荷物をもたなかった「敗戦先進国」だった。ちなみに、やはり枢軸国側だったイタリアは、必ずしもそうではなかった・・・いろいろ示唆される所です。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。



このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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