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最終学歴は「おとなの学校」卒

目からうろこの介護サービス~ピュアサポートグループ

2011年12月13日(火)

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 ピュアサポートグループは小山敬子氏が理事長を務める医療法人社団大浦会を中核に、社会福祉法人、有限会社、NPO法人などの運営主体で、特別養護老人ホーム、ケアハウス、有料老人ホームを経営している。

 小山氏の父親の辰男氏が、熊本市内にベッド数19床の大浦外科病院を開いたのが1961年。1976年に医療法人大浦会(現在は医療法人社団大浦会)を設立し、1980年一般病院としての大浦病院に衣替えした。一方1977年には熊本敬愛病院を開院した。

 それぞれの病院は地域の急性期病院としての役割を果たしていた。しかし、社会で高齢患者が増え始め、それまでの医療制度が大きく変わりはじめた。医師や看護師を多く配置しなくても高齢者の長期入院が可能になったことから、大浦会も徐々に急性期病院から介護を主体とする病院(いわゆる特例許可老人病棟)へ転換していった。

 1994年に大浦会の事務長を務めていた小山氏の母親の博子氏が他界した。そこで医学部大学院博士課程を修了したばかりの小山氏が母親に代わって現場の細かな管理事務を含め常務理事として病院経営に携わることとなった。2000年になると理事長だった父親の辰男氏も死去した。小山氏は大浦会の理事長となり、病院経営の改革に乗り出すことになった。

 2004年から始めた5カ年計画では「はっぴぃバリューチェーンの創造」を進めた。その次の5カ年計画では毎日の自宅での生活に近い高齢者介護としてのシニアリハウスやおとなの学校という新事業を軌道に乗せる「パワーブランドへの発展」を推し進めている。

 「何でもしてあげればいいと勘違いしていた」

 顧客満足向上のために、介護現場では高齢者に求められるままに何でもやることが大事と考えられてきた。小山氏がこの間違いに気づいた瞬間に出たのがこの言葉だ。

 小山氏が常務理事になった1994年の大浦会は、病院とは名ばかりで、実態は退院しない長期入院患者が大半を占める、生きがいを持たない高齢者のたまり場となっていた。元気に歩き回る患者も、重度の認知症患者も共存していた。重度認知症患者に自分の近い将来を重ね合わせる環境にあって、高齢者やスタッフにとって、やる気を削ぐムードが蔓延していた。

 「病院を持たない医療法人になる」。小山氏は1995年に宣言する。病院を中核とするピュアサポートグループの全ての施設を、病気を持った患者が訪れる場所ではなく、訪れた高齢者が元気になって帰る場所にするために、それまでの経営の軸を病院から老人介護に移す決断を下したのだ。

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「最終学歴は「おとなの学校」卒」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官