「伊東 乾の「常識の源流探訪」」

宴会はなぜ「ウタゲ」というのか

「初詣」の源流探訪

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2012年1月4日(水)

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 皆さんは今年のお正月、どのようにお過ごしになられましたか? 「初詣」には出かけられましたでしょうか?

 なんとなく年中行事のように行っているかもしれない、この「初詣」、ちょっと見直してみると、意外なところから「日本」の独自性が見えてくるような気がするのです。

「お宮」とは何か?

 初詣に出かけるといったら、行く先は「お宮」が多いですね。実際には「ナニナニ厄除け大師」など「お寺」に参るということもありますが、これは長い神仏習合の習慣からそうなったもので、本質的には神事として考えることで、初詣の本質が見えてくるのですが、それはちょっとあとにお話することにしましょう。

 例えば今言った「お宮」この言葉、どういう意味か、お考えになったことがありますでしょうか? 僕は比較的最近まで、そういう言葉だ、と決め付けて、意味などまったく考えずに過ごしてきました。

 改めて「おみや」という言葉を見ると「お」+「みや」になっていますね? この「みや」ですが、「み」+「や」つまり「御」「家」なんですね。

 丁寧な、あるいは尊称かもしれない「御」がついた「家」つまり「尊いお家」あるいは「尊い人が住む家」というのが「み・や」という言葉の本来の意味だと知って、へぇ、なるほど、と思いました。

 例えば、いまの皇太子は子供のころ「浩宮」と呼ばれていました。皇族は「宮家」と呼ばれます。「高松宮」「三笠宮」「高円宮」などなど。

 みんな「御ハウス」というのが元来の言葉の意味になる。そう考えると「宮家」という表現はなかなか変ですね。「御(み)家(や)家(け)」と言っているわけですから「お宮」という言葉は丁寧語の二段がさねになっているわけですね。

 そんな変な日本語が他にあるかというと・・・あるんですね、実際。

 たとえば「御神籤」おみくじは「お」+「御」+「クジ」で、やはり二段になっている。カミサマのご託宣ということですから、とても大事に丁寧語を重ねる格好になっているわけですね。

 そんなこと、私たちが一回100円など払ってオミクジを引くときには、一切意識しないと思いますが(笑)。

初詣の源流探訪

 さて、そんな丁寧な「お宮」に参る「初詣」というのは、いったいそもそもどういう行為だったのでしょう?

 日本が国家としての形を執るようになるのは聖徳太子や大化の改新の時代より少し遅れて、法治国家という程ではないですが、一応の成文法に基づいて統治が行われるようになった「律令制」導入以後のことと考えてよいでしょう。そこで、日本古代史の大津透さんの著作に沿いながら、初詣の源流を探訪してみたいと思います。

 律令法というのは国事をさまざまに規定する「令」と、刑事罰を規定する「律」からなるもので、いまここでは刑事事件は関係ないので「令」を見て行くことにしましょう。

 日本国憲法の第九条は平和を考える上で重要なものですが、「儀制令」という令の第九条は「元日条」となっていて、こんな規定がなされています。

 「凡そ元日には、親王以下を拝するを得ず。唯だ親戚及び家令以下は、禁ずる限りにあらず」

 元日には、「親王以下」を礼拝しちゃだめだ、と書いてあるんですね。どういうことかというと、元日という日は「天皇を礼拝する日」だということです。この「令」というのは、都にいる貴族(正確には五位以上の官人)の生活、有職故実を規定するものですから、そういう前提で読んでいただきたいのですが、元日というのは天皇を礼拝する「ミカドオガミ」の日になっている。

 ここで、上に引いた「天皇以外は拝んじゃだめヨ!」という規定は、じつは唐の令制にはない日本独自の規定で、ここに注目すると日本というものが何か、よく見えてくる、と大津さんは言われるわけです。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。



このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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