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ヒット商品は作らない和菓子店

売上構成比4割超で生産中止~勉強堂

2012年1月17日(火)

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 かつてどこの商店街にも羊羹やまんじゅう、だんご等を売る和菓子屋があった。最近はこの商店街が郊外のショッピングセンターにおされ元気がない。その商店街にあった和菓子店も地域から消えつつある。洋菓子店の新規出店の話は聞くが、和菓子店の新規出店はほとんどなく、むしろ後継者問題から廃業するところの方が目立つ。

 地域の中にあった和菓子屋はすっかり目立たない存在になったが、市場は比較的安定しているという。百貨店やショッピングセンターの中には今でも和菓子店や専門コーナーがある。また和菓子を自分で食べることもあるが、贈答や土産物として購入されることも多く、どこの駅や空港にもその地域の特産の和菓子を販売する土産物店が必ずある。

 今回は広島県福山市にある和菓子屋「御菓子所 勉強堂」の取り組みを紹介する。

店舗出店戦略の転換

 福山市の街道沿いで賑わいのあるところに門田常太郎氏が和菓子店を開いたのが1929年のことである。屋号「勉強堂」を名乗り、和菓子を売るだけでなく、小規模な小売店として日常的に消費するパンや駄菓子、食品とともに、文房具等の日常雑貨も販売する地域の万屋(よろづや)的な存在だった。創業当時は近くに7軒も菓子屋があり、店名は周辺の菓子店よりは「勉強しますよ」(いわゆる、安くしますよという意味)というところに由来があったが、現在は「菓子作りに邁進して勉強しますよ」という意味を込めている。

リニューアルオープンした本店

 戦後になって日常雑貨の販売は止めた。1965年になると東京の洋菓子屋で修業した2代目になる一治氏が事業拡大に乗り出し、パンや和菓子だけでなく洋菓子の販売を始め、菓子の総合販売を行うようになった。1978年から商品製造を本店に併設した工場で行い、全国の百貨店の催事コーナーや物産フェア―で出張販売も行った。

 当初の業績はよかったが、その後はだんだん悪くなり始めた。そこで様々な商品を販売するのではなく、和菓子専門店になることを決め、1987年に福山沖野上に第1号の支店として「勉強堂 暢適庵」を出店した。1992年には地元の百貨店にテナント出店し、1993年には会社化して社名を「有限会社勉強堂」にし、1995年に福山駅にあるショッピングセンターに出店した。

 観光客が多く集まる所に当時は出店し、土産物として紅葉まんじゅう等の和菓子を土産物として販売していた。しかし、広島市の土産物店が福山にも出店し、同じような商品を売り始めたことから、売上はさらに大きく落ち込んだ。

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「ヒット商品は作らない和菓子店」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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