少し前、意外に思った事がありました。ある若い学生が「旧かな遣い」というものを大昔のものと思っていたんですね。その人は古文などで習う「旧かな」を江戸時代「あたり」のものと考えていた、近代以降は使われなくなったものだと認識していた。
まあ確かに、明治以降、日本語は大きく変化しました。「なになにで候」なんて日本語は、元来は武家の言葉で、幕藩体制までの公文書では一貫してこれが使われている。ところが明治以降、新政府はこれを基本的に公文書では廃止してしまい、逆に士族を中心に私信などに「そうろう文」が残っていたりする。
しかし公のシステム、例えば「学制」が施行され義務教育が実施されると、それに入ってこない江戸時代以前の日本語は、必然的に影が薄くなってゆきます。
ぎゃくに、明治以降の小学校の「読本」に使われていた仮名遣いなどは、1945年までは世の中で普通に通用していました。「・・・でせう」(・・・でしょう)とか「てふてふ」(蝶々)といった文字の遣い方はごく当たり前のものだった。
「ウヰスキー」じゃないと不味そう
まったくの余談ですが、私の両親は父母ともに大正年間(1912−1926)生まれで、当然ながら1945年以前に学校に通っており、旧かなで最初の教育を受けました。敗戦後のさまざまな改革の中で「新かな使い」も遣うことを覚えさせられましたので、二つの日本語を使い分けていました。
公のものは新かなで記さなければなりません。しかし子供の頃から使ってきた「自分自身の思考をつづる文字」は旧かなです。子供の頃、帰宅すると母が留守で、おやつと一緒にメモが置いてあったりして
「寒かったでせう」
なんて旧かな遣いの混ざった文字を普通に見てきたので、私自身もどこか感覚が狂っていて、仮名はやはり旧かなでないと「本当のニュアンスは伝わらない」と思っている所が、実はあります。
先日、家の奥のほうを整理していて、父親が遺した仕事のメモやノートが出てきましたが、当然ながら全部旧仮名でした。父の場合、戦争が終わったときには満州にいて、シベリア抑留後もどってきてからの「戦後日本」なので、急かなの傾向はより強かったかもしれません。
また、やはり大正生まれの伯父は
「『ウイスキー』なんて水で薄めてありそうで不味そうで見れたもんじゃない。やはりウヰスキーはウヰスキーじゃなきゃ」なんて事をよく言っていました。
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