「伊東 乾の「常識の源流探訪」」

「貨幣」と「神社」の意外な共通項

初詣の源流探訪、その4

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2012年1月24日(火)

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 前回、古代日本各地の国府では、元旦の朝拝で、誰もいない「お宮」という建物そのものが礼拝の対象になる、という話を書いたところ、大変興味深いコメントを頂きました。一部を引用してみます。

 「外から建物に対して拍手を打ったり頭を下げたりお金を払ったりしている」人なんてどこにいるのだろうか? 神社の奥に鎮座しているであろう何ものかに頭を下げていることは小学生でも理解しているのでは?

 そうそう、そうなんです、21世紀の日本人なら、小学生でも理解していることがある。逆に、21世紀の私たち大人は、奈良時代の日本人がどういう信仰の心的姿勢を持っていたか、といったことは、容易に視野からはずしてしまう、そのあたりからお話を始めたいと思います。

 上のコメントには「小学生でも」持っている、大変近代的で科学的な考え方が前提となっています。そもそも、まず神社の奥に何かが鎮座している、という整合した見方を、前回、大津透さんの「古代の天皇制」で引いてきた、奈良時代に朝拝を行っていた人々が共有していたか、というと・・・定かでない、というより、多分そういうことはなかったと思います。

 誤解のないよう補足しますが、前回も古文書を引用しつつ記しているのは、まずもって古代人の儀礼のあり方です。その遺制が現代にも伝わる、という話をしているわけですが、古代の行事を現代人の常識で理解しようとすると、色々違うことになってしまいます。

 イワシの頭も信心、なんていいますね。信心と言う言葉は、今日軽く考えられやすいように思っています。しかし同時に変に迷信深い21世紀日本人の現実の姿があるのは、テレビの番組欄など一瞥しても、いろいろ状況証拠が見受けられます。

 その周辺を注意深く考えてゆくと、私たち自身の中に巣食っている、古代人そのままといった心の動きも、見えてくるように思うわけです。

お神輿を「足蹴」にするか?

 今日、私たちは「建築物」は建物であって、それ以上でも以下でもない、と思っています。極端なシックハウス、あるいはマンションの骨材が汚染されていて、などという場合には、その建物を恐れるということはありえても、建物自体を畏れかしこむ、礼拝や信仰の対象とする、なんてことはない、そう普通は思います。

・・・そうなんでしょうか? 微妙な例を考えて見ましょう。

 例えば、神社の「お神輿」、あれは何か?というと、神様が引っ越しするんですね。その「遷宮」のときの神様の乗り物、「お輿」ですが、なにぶん神様ですから「お」「み」「家」(お宮)と同じように「御」「御」「輿」(おみこし)と、二重に「御」がついている。

 この「お神輿」、お宮のミニチュア版といってもいいものと思いますが、これは「その中におられる神様」を信仰するもので、それ自体は大事に考えないものと言えるでしょうか?

 例えば、どこかの村のお祭りで、休み時間にお神輿がおいてあったとして、不良少年などがやってきて、それに不敬な行い、例えば足蹴にするとか、そういうことがあったら、多くの日本人はどういう反応をするでしょう?

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。



このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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