「養老孟司×隈研吾 「ともだおれ」思想が日本を救う」

津波対策はノーマークだった日本の建築業界

バックナンバー

2012年2月2日(木)

1/4ページ

印刷ページ

 環境問題に代表される今の社会のさまざまな課題は、「生き物」としての私たちが、合理性、均質化、分業による効率の追求に耐えきれなくなってきた、その表れなのではないか? 偏ったバランスを、カラダの方にちょっと戻すためにはどうしたらいいのか?

 そんな問いかけから、養老孟司氏と隈研吾氏による対談、「ともだおれの思想」(2008年9月1日〜)は始まりました。

 2人が語り合った現代社会の行き過ぎた効率追求は、東日本大震災を経験した私たちにとって、日本再建へのヒントにつながります。「3・11」後に、より切実になった「日本人はどう生きていけばいいのか?」について、現代人は「脳化社会」の中に生きていると喝破した養老氏と、世界の先端で都市設計に携わる建築家、隈氏が、再び語り合います。

── 隈研吾さんは東日本大震災の時、どちらにいらしたんですか。

:台湾で東京の事務所のスタッフと電話で話をしていました。電話口で「揺れています」と言っていたスタッフの声がだんだん切迫してきて、そのうち裏返ってしまったので、これは尋常じゃないな、と思いました。その1時間後ぐらいから、台湾でもニュースがどんどん流れて、とんでもないことが起きたんだ、と。

── 養老先生はどちらにいらっしゃいましたか。

養老 孟司(ようろう・たけし)
解剖学者/作家/昆虫研究家。1937年生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。95年東京大学医学部教授を退官し、その後北里大学教授に。東京大学名誉教授。著書に『からだの見方』(筑摩書房、サントリー学芸賞)『唯脳論』(青土社)『人間科学』(筑摩書房)『バカの壁』(新潮社、毎日出版文化賞)『死の壁』(新潮社)など、専門の解剖学、科学哲学から社会時評、文芸時評までを手掛ける(写真:大槻 純一、以下同)

養老:鎌倉の自宅にちょうど帰ったところでした。秘書がたまたまブログを書いていたのですが、ポンッとパソコンの電源が飛んだんですよ。あ、飛んじゃった、と言っていたら、それから揺れ出しましたね。鎌倉では地震より先に停電になったんです。

 これはかなり大きいと思って外に出たら、マル(養老家の愛猫)が歩いてきて、足元にバタンって倒れてきた。猫も地震で目が回ったんじゃないのかな。

── ということは、やはり相当揺れたんですね。

養老:揺れましたよ。僕の第一声が、「これは原発、やられたかな」だったと、女房が後で言っていました。自分でははっきり覚えていなかったけど、潜在意識でずいぶん気にしていたんだな、というのが分かったね。

── 隈さんが東京に戻られたのはいつでしたか。

:2日後に戻りました。僕、東北にいくつか建物を設計しているから、それらがどうなったかが心配で。10年ぐらい前に宮城県石巻市の北上川沿いに設計した「北上川運河交流館」と、同じころ、そこから北に行った同県登米市に「森舞台/伝統芸能伝承館」も設計しました。自分の建物が地震で潰れたとなると、建築家の社会的信用に関わるから、やっぱりまずいじゃないですか。

── それはまずいですよね。

全く景色が変わった被災地の北上川

隈 研吾(くま・けんご)
建築家。東京大学教授。1954年生まれ。1979年に東京大学工学部建築学科大学院を修了。米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所を主宰。97年に日本建築学会賞を受賞(宮城県登米町伝統芸能継承館「森舞台」)。99年慶応義塾大学環境情報学部特別招聘教授。2001年同大理工学部教授に就任。2009年から東京大学教授。主な著書に『負ける建築』(岩波書店)、『隈研吾:レクチャー/ダイアローグ』(INAX出版)、今回のインタビュアー、清野由美との共著『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)がある

:「北上川運河交流館」は北上川の下流の河口に近い立地で、しかも意図的に北上川の土手に埋もれるように作った建物でしたから、建物が壊れなかったとしても、津波を完全にかぶる位置だな、と心配で。

養老:津波は北上川を50キロも遡ったという話を聞きました。

:そうです。もう、絶対に津波でやられちゃっている……と思って、事務所にすぐ電話をして「調べてくれ」と言ったんです。ただ、被災した先方に電話が通じなくて……。

養老:それで大丈夫だったんですか。

:2週間後にまず電話が通じて、大丈夫だということが分かり、3週間後に現地に入りました。地面は全体が液状化していて、建物の周辺にある歩道はズタズタになっていました。それでも建物本体には奇跡的に水が入らず、ダメージはなかったんです。

養老:水、入らなかったですか。

:建物のすぐ裏側、ギリギリまで津波が来たのですが、建物はほんの少しだけ高さがあって助かりました。まあ偶然ですね。

 震災から3週間後に行った時は、周辺の地面全体が下がったせいで、水位が1メートルくらい上がっていました。川って水位が1メートル上がると、全く違う場所みたいに景色が変わっちゃうんですね。村上春樹が「1Q84」で描いた、月が2つある世界に来たみたいに、世界がこんなに変わってしまったんだ……と震えが来ました。

ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。



関連記事

Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)

Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
内容は…
この記事は…
コメント6 件(コメントを読む)
トラックバック
著者プロフィール

清野 由美(きよの・ゆみ)

ジャーナリスト。
1960年生まれ。82年東京女子大学卒業後、草思社編集部勤務、英国留学を経て、トレンド情報誌創刊に参加。「世界を股にかけた地を這う取材」の経験を積み、91年にフリーランスに転じる。国内外の都市開発、デザイン、トレンド、ライフスタイルを取材する一方で、時代の先端を行く各界の人物記事に力を注ぐ。『アエラ』『朝日新聞』『日本経済新聞』『日経ベンチャー(現・日経トップリーダー)』などで執筆。著書に『セーラが町にやってきた』(プレジデント社/日経ビジネス人文庫)、『ほんものの日本人』(弊社刊)、『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(集英社新書・隈研吾氏と共著)『「オトコらしくない」から、うまくいく』(佐藤悦子氏と共著・日本経済新聞出版社)など。



このコラムについて

養老孟司×隈研吾 「ともだおれ」思想が日本を救う

 環境問題に代表されるいまの社会のさまざまな課題は、「生き物」としての私たちが、合理性、均質化、分業による効率の追求に耐えきれなくなってきた、その表れなのではないか? 偏ったバランスを、カラダの方ににちょっと戻すためにはどうしたらいいのか。
 現代人は「脳化社会」の中に生きていると喝破した養老孟司氏と、ヒトの毎日の環境である住宅、都市の設計を行う建築家の隈研吾氏が、次のパラダイムを求めてゆったりと語り合います。

⇒ 記事一覧

記事を探す

読みましたか〜読者注目の記事

  • いま、歩き出す未来への道 復興ニッポン