「伊東 乾の「常識の源流探訪」」

古代西欧暦には日付のない2カ月があった!

初詣の源流探訪、その8

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2012年2月21日(火)

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 お正月から2月にかけて「初詣」から端を発して「日本のうた」の話題を続けてみたのにはわけがあります。「暦」の源流を探ねてみると、いくつかの「新年」が重複する事実に気づかされるのです。

 一方では明治以降、西欧近代の太陽暦が導入され、西暦の1月1日が行政など公的な場での新年とされました。他方、古来の行事に関しては「立春」「夏至」など伝統的な節気が残っているため、こちらに基づいて「年の初め」を祝う「越年際」や「節分」などの行事は、別の日付で連綿と残ってきた。その共通点と違いを見る中から、日本で古来祭られてきたお祭りや、そこでの「うた」「うたげ」などの本質が、垣間見えるような気がするのです。

二十四節気から考える

 暦の作り方には古来さまざまなものがありますが、今考えているずれが生まれる大きな原因は先ほども触れた西欧由来の太陽暦と東アジアで古来用いられている二十四節気にあると思います。

 「太陽暦」は何となくなじみがありますが、二十四節気はピンとこないかもしれません。これは1年を春夏秋冬4つの季節12の月にわけ、おのおの「節」と「中」とで区切るもので実際にはカレンダーなどでよく見るものが多いと思います。実際に節気を書き並べてみましょう。

 どうです?実際には良く見かけますよね。

 一年の初めから見てゆくと「立春」「啓蟄」「春分の日」「夏至」「立秋」「春分の日」「冬至」「大寒」といったあたりが、今日でもしばしばカレンダーで見かけるように思います。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。



このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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