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時代の変化を観察するには最高の場所・銀座。いま何が見えるの??

~考現学で、明日のGINZAを予測する~

2012年4月18日(水)

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 銀座の空気が、凄まじい勢いで軽くなっています。ことに2008年のH&Mが開店して以来、ファストファッションの勢いが加速。それに呼応するように、百貨店は凋落をたどり続けました。20世紀後半に進出した多くのブランド店もじり貧状態。西武百貨店はルミネに変わり、ユニクロまでが巨大店舗を構えました。

 そして先月末には、低価格衣料店g.u.(ジーユー)銀座店がオープン。しかも、旧ユニクロ銀座店の跡地に。街の声は、あっという間に中国語と若者語に席巻されてしまいました。

 まるで、時代展示場かグローバルマーケット場。銀座ブランドの衣は、とっかえひっかえのてんやわんや。小さな和装小物店などは、その軽い空気に吹き飛ばされてしまいました。特段、銀座が好きなわけではありませんでしたが、巨大化、均質化のウェーブがここまで浸食したのかという感慨です。

銀座は、縄文時代は海の底

 銀座は、縄文時代は海の底。江戸時代のちょっと前までは、日比谷から丸の内までは日比谷入り江と呼ばれる海。その東に、隅田川の運んだ江戸前島という砂州が形成されていて、その先端が現在の銀座にあたる所でした。つまりは、波の気まぐれでつくられた場所。その気まぐれDNAによって、銀座はコロコロと顔を変えていったのです。

 銀貨鋳造のために、徳川家康がこの地を埋め立てたのはご存知でしょう。今の華やかさとは対照的な工場な銀座。それが、度重なる災害によって変貌を遂げたのは皮肉な話です。最初は、1657年の明暦の大火でした。明治に入ると、1869年と1872年の大火。その度に、道路整備などが行われ、1872年の後は、東京不燃都市化をめざし銀座煉瓦街が建設されました。さらに、横浜~新橋間の鉄道が開業。銀座は、文明開化の象徴として動き始めました。

 改めて振り返ると、災害と復興がセットになっている。日本の縮図のような街なのです。

 現在の老舗店舗は、これ以降に進出してきた店です。この頃の銀座の顧客は、どちらかというと地方出身者。盛り場は浅草や上野でしたから、銀座は新興の人たちが好む場所だったようです。閉鎖的というより、新規者でも入りやすい場所。それを考えると、中国人を始め、多彩な人たちを受け入れるのは街の宿命なのかもしれませんね。

 そして決定的だったのは、1923年の関東大震災です。壊滅的な打撃を受けた銀座は、帝都復興計画の目玉に。東京市電が走り、百貨店、劇場、カフェなどが次々に登場。震災恐慌や金融恐慌を尻目に、銀座はGINZAへの道を走り始めたのです。

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「時代の変化を観察するには最高の場所・銀座。いま何が見えるの??」の著者

関橋 英作

関橋 英作(せきはし・えいさく)

マーケッター

外資系広告代理店JWTでコピーライターから副社長までを歴任。ハーゲンダッツ、キットカット、デビアス・ダイヤモンド、NOVA英会話学校など、数多くのブランドを担当、成功に導く。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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松﨑 曉 良品計画社長