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寺田寅彦とソクラテス(中)

あれから1年、正しく怖がる放射能【6】

2012年5月8日(火)

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 寺田寅彦が「正しく怖がる」重要性を強調した1935(昭和10)年、日本はいろいろな意味で不安な季節を迎えていました。

 春先からの浅間山の噴火など、天変地異と並行して、国内外での政治・経済的な緊張も高まっていました。翌年には2.26事件が起こり、日本はそのまま軍部が暴走して第二次世界大戦へと突っ走って行きます。

 しかし寅彦がそれらの経緯を目にすることはありませんでした。というのも昭和10年11月に「正しく怖がる」内容を記した「小爆発二件」というエッセーを雑誌「文学」に発表した翌12月、寅彦は57歳の若さでこの世を去ってしまったからです。

寅彦は何に警鐘を鳴らしたのか?

 「『ドカーン』というかな文字で現されるような爆音の中に、もっと鋭い、どぎつい、『ガー』とか『ギャー』とかいったような」(『小爆発二件』「文學」昭和10年11月号)

 爆音が響きました。夏休み、軽井沢に保養に来ていた寅彦は、突然とんでもない轟音を耳にします。その年の春先に浅間山が噴火していたので、今度もまたソレだろう、と目星をつけてみていると、果たせるかな、カリフラワー形の噴煙がもくもくと湧き上がってくるのが見えてきました。

 噴煙は目で見えますし、やがて火山灰も降ってきました。寅彦はさっそく、目測から毎秒50~60メートル、つまり台風で観測される最大速度程度の数値を割り出すなど、手元に何もない状態でも可能な、あらゆる情報の分析に取り掛かります。寅彦の言葉をもう少し見てみましょう。

 「(あとになってから)浅間観測所の水上理学士に聞いたところでは、この日の爆発は四月二十日の大爆発以来起こった多数の小爆発の中でもその強度の等級にしてまず十番目くらいのものだそうである。そのくらいの小爆発であったせいでもあろうが、自分のこの現象に対する感じはむしろ単純な機械的なものであって、神秘的とか驚異的とかいった気持ちは割合に少なかった、人間が爆発物で岩山を破壊しているあの仕事の少し大仕掛けのものだというような印象であった。しかしこれは火口から七キロメートルを隔てた安全地帯から見たからのことであって、万一火口の近くにでもいたら直径一メートルもあるようなまっかに焼けた石が落下してきて、数分時間内に生命をうしなった事は確実であろう。」(同前)

 その場で手に入る限りの情報から、寅彦は、自分のいる場所がどれくらい危険か、それがもし火口にもっと近かったら、あるいは遠かったらどうか、自分はどの程度安全か、別の立場の人はどれくらい危険か、といった事柄を、きちんとケジメしながら分別、判断しているわけです。

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