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「チームのミッションを明確にしていたから、何があってもひとつになれた」

最終回:パリ~北京~東京を走り抜いたガリバーチーム座談会

  • 大角 理佳

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2012年9月28日(金)

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 ガリバーインターナショナル会長・羽鳥兼市氏によるユーラシア大陸横断の挑戦は無事成功し、その思いは前回のインタビューでお伝えした。では、会長と共に走りきったランナーやサポートチームの面々はこの挑戦をどう受け止めているのか。同じランナーとして走り抜けた執行役員の須釜武伸氏、羽鳥氏3男の彰人氏、また、出発からゴールまでサポート隊長としてチームをバックアップしてきた添田進二氏と、プロジェクト全体を後方支援してきたユーラシア旅行社事業開発部の原昭彦氏に話を聞いた。編集部はあえて羽鳥会長“抜き”での座談会を設定したのだが…。(司会は伊藤暢人)

「自分が死んだら遺骨をクルマに載せて挑戦を続けてと頼みました」――彰人氏

まず、ひとつは個人として自分がどのように壁を越えたかということをうかがいたいと思っています。

執行役員の須釜武伸氏

須釜:言葉も宗教も食べ物も、習慣も何もかも違うところを、何がどうなっているんだろうと思いながら走り続けていましたね。(7年前に羽鳥会長と走った)アメリカ横断の経験は、今回の挑戦で後半になるにつれてビックリするくらい小さい出来事のように感じるようになりました。3回くらいケガもしましたし、これまでに経験したことのない下痢も経験しました。自分の見識は当然広くなって、続ける上で必要な強い気持ちは、より強くなった気がしますね。

彰人:自分はもう、走り続けるということ自体が初めての経験だったので、何も分からない状態でした。だから何が起こっても「これは、こういうことなんだ」という感覚ですべてを受け入れようと思いました。いろんなことがあったんですけど、須釜さん、会長、先輩から、モチベーションの上げ方や、どういう精神でいれば走れるのかということなどを教えてもらいながら、走っている感じでした。

1日50キロメートル、休みなしという予定で出発して、走って行くなかで走行距離を変更されましたが、どんな議論をされていたんでしょうか。

須釜:身体がだんだん強くなって、1日50キロでもこなせるだろうと最初は思っていたんですね。ところが、毎日どんどん強くなるんじゃなくて、疲労とともに弱くなっていくんです。ランナー3人の故障も多くなってきつつあることをみんなで確認して。やっぱり、我々はアスリートじゃない、普通のサラリーマンなんです。それで、1日43キロが人間の疲労と回復の黄金比なんじゃないかと、身体を通して発見した形ですね。アメリカ横断のときも43キロでした。

彰人さんはドイツで入院されました。これはチームにとって初めての大きな危機でした。あのときはどんな気持ちだったんですか。

羽鳥彰人氏。羽鳥兼市会長の3男

彰人:あのときは自分の体調のせいでチャレンジが止まってしまったので、本当に申し訳ないなという気持ちでいっぱいでした。下痢と嘔吐がひどくて苦しかったんですけど、それよりもこの挑戦をストップさせたということが申し訳なくて。3日間入院して、1日中点滴を打ってもらって治ったので、よかったんですけど。

 ただ、本当に精神的に大変だったのは、まだまだその後でした。日本からの応援は力になりましたし、チームメンバーから励ましてもらえたことも力になりました。スタートしてから3000キロ、4000キロくらいまでは本当に、そこで死んで終わるか、ちゃんと走り抜いて帰るか、選択肢は2つだったんですけど、途中から変化が起こって、「死んでなんていられない、やり抜くしかないな」というふうに思うようになりましたね。やっぱり、応援をしてくれる人とか、いろんな人の影響を受けてでしょうけど。

須釜:確かセルビアかその辺の高速を走っているときだったと思うんですけど、「スーさん、自分は遺書を書いてきてないんです。今、言いますね」と言うんですよ(注:須釜氏、羽鳥会長は出発前に遺書を書いてきたという)。「私が死んだら、遺体をそのまま連れて帰るんじゃなくて、燃やしてガリバー号に一緒に乗せて、挑戦を続けてくださいね」と。

彰人:もし、何かあって自分が死んだときにも、絶対に止めないでくださいと。その頃の気持ちは、生きるか死ぬかというより、もう死んじゃうのかなと、そちら寄りに傾いていたんですけど(笑)。多分弱っていたんだと思います。そしたら、スーさんが「頑張ろうよ・・・」と、言ってくれたんですね。

添田:スーさんと会長はアメリカの経験があって走っているのに、彰人さんはまったくその経験もなく走っているんだから、ここで背伸びする必要はないんだ」と私も言ったんです。

彰人:この一言でだいぶラクになりました。いつも「何とか2人に追いつかなきゃ」という焦りがあったんですけど。

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