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温室栽培学生の憂鬱

「のため病」と「五月病」(2)

2013年3月8日(金)

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 高校受験はいい大学に入るため、大学受験はいい会社に就職するため、いい会社に就職するのは・・・と、目的の無限先送りが続き、その実まったく満たされることがない、という「内実の喪失」。

 最近、大学近辺で若い人と話していて、しばしば感じる、こうした目的の先送りに伴うやりがいや生き甲斐の喪失状況を、仮に「のため病」と呼ぶことにして、焦点をあてて考えたいと思います。

 これと違うようでいて、実は大変よく似ているのが「五月病」と呼ばれるもので、こちらは私の造語ではなく昔から知られているもの。つまり、大学受験に血道を上げ、合格したはいいけれど、5月ごろになると目標を喪失して何もやる気が出ない、伸びきったゴムみたいになってしまう学生というのも、明治大正時代から知られていました。

「銀時計」と五月病

 明治大正時代の東京帝国大学には「恩賜の銀時計」という制度がありました。あまりに弊害が多いので廃止されてしまったのですが、これはもう典型的な「のため病+五月病」の共通病根を示しているので、ちょっとご紹介してみましょう。

 かつて日本の官学では、成績優秀者に天皇から「恩賜の銀時計」が授けられていました。陸軍士官学校、学習院、東大などで早い話が、各学部を首席級で卒業したものに銀時計が下賜される。夏目漱石の「虞美人草」にも「銀時計組」の登場人物が出てきます。銀時計OBは陸軍幹部、東大教授職、大蔵高官などその後一生にわたって「国家のエリート」としての椅子が約束されるような空気があった・・・らしい。

 最初は軍隊の学校が起源だったらしく、東京帝国大学では「20世紀の新しい目標」とでも思われたのでしょうか、1899(明治32)年からこの制度が開始され、合計で323人が銀時計をもらったわけですが・・・早くも1918(大正7)年には廃止されてしまいます。

 歴史の流れで見るならば、日清戦争に勝ち、新たな20世紀という時代を世界に伍して切り抜けようという日本が「八幡製鉄所」稼動開始などと前後してアカデミック・エリートを育てようとしたもので、実際に日英同盟、日露戦争、日韓併合といった明治末期の時期、そして第一次世界大戦が始まり、戦争後期にいたるまでの19年間、東大では銀時計が下賜され続けたわけですが・・・あまりに弊害のほうが大きいので廃止されてしまった。

 これがどれくらい酷い弊害をもたらしたか、いろいろ伝説が残っています。例えば、銀時計を得るべく苛烈な勉強をしすぎて死んでしまった大学生、卒業時、僅差で銀時計を逸し、この先ずっと一番にはなれないと悲観して自殺した者、銀時計組として社会に出た者が伸びきったゴムのようになってしまったり、あるいは鼻持ちならないエリート風を吹かせてロクでもなかったり・・・なんであれ、マイナスのほうが大きかった。

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