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現代でも模範とすべき後藤新平のリーダーシップの成り立ち

幅広い教養に裏打ちされた決断力と現場重視の手法に学べ

2013年8月19日(月)

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 以前に取り上げた後藤新平について、再度書いてみたい(関連記事:後藤新平の処世訓と国家戦略会議への期待 今でも響く「とにかく活動せよ」という言葉)。

 以前の回に述べたように、東日本大震災の復興議論の中で、関東大震災後、斬新な東京復興計画を立てた後藤にスポットライトが当たる機会が増えてきた。「昭和通り」「日比谷通り」などの現在も残る大通り、あるいはいまだに建設が続く環状線計画を立てた人物としての再評価である。

 この後藤新平という人、東京復興計画策定を指揮しただけではない。もともとは医師であり、その後、内務省衛生局長、台湾総督府民生長官、南満州鉄道総裁などを歴任している。さらには、政治の世界に転じ、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市長などを務めた後、現在のNHKが創設された際には、東京放送局長も務めた。

 幕末から昭和の激動の時代を生きた人としても、いかにも多彩なキャリアである。さらに、様々な役割を与えられた際、前例にとらわれないクリエイティブな課題解決策を取ったことでも知られている。

破綻状態だった台湾で新政策を次々に打ち出す

 後藤が台湾総督、児玉源太郎の右腕として、民生長官の職に就いたとき、日本の台湾経営は危機に瀕していた。

 地元有力者ともつながった抗日ゲリラ「土匪」の跋扈が一向にやまず、軍隊・憲兵・警察による治安維持は十分に機能せず。

 一方で、財政も実質破綻状態。山岡淳一郎著『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(草思社)によると、後藤の赴任前年である1897年(明治30年)の台湾総督府歳入は、1128万円であったが、そのうち、台湾での租税収入は532万円に過ぎず、残りの大部分は日本政府からの補助金での穴埋めだったという。

 この厳しい状況の下、後藤は思い切った新政策を次々に打ち出した。

 本人いわく、「生物学」の原則に従った、言い換えると、現地の風土・習慣・風俗などを十分に理解・尊重したうえでの地域経営であるが、具体策はそれまでの総督府の施策とは全く異なるものだった。

― 投降し、協力する場合には、罪を問わず、抵抗する場合には軍事力で制圧する、という硬軟両様の抗日ゲリラ・土匪対策。さらに地元民からなる「自治組織」への武器提供。
― 現地社会がメリットを感じることができる、鉄道、道路、水道、病院、教育施設など社会インフラへの大型投資。
― 新渡戸稲造を口説いて米国から呼び戻し、農業政策を抜本的に見直し。その献策に基づいた近代的製糖業育成策。
― 上記のような政策を実行する資金を確保すべく、政府・議会を動かして、公債発行法案発効、台湾銀行設立。

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「現代でも模範とすべき後藤新平のリーダーシップの成り立ち」の著者

御立 尚資

御立 尚資(みたち・たかし)

BCGシニア・パートナー

京都大学文学部卒。米ハーバード大学経営学修士。日本航空を経て現在に至る。事業戦略、グループ経営、M&Aなどの戦略策定・実行支援、経営人材育成、組織能力向上などのプロジェクトを手がける。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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