学歴フィルターなるものが、話題になっている。企業の採用説明会への参加申し込みをする際に、大学によって差をつけるのだという。
先週、この問題を大きく紙面で取り上げた朝日新聞には、
- 日本大学に通う女子学生が、説明会参加のボタンを押そうと思ったら「満席」の文字がスマホの画面に出たのに、上智大の友人の画面には出なかった。
- 「エントリーシートを真面目に書いた自分は落とされ、トップ校の友人は適当な内容でも通った」(立教大3年男子)
- 「同じ説明会やセミナーに参加した立教大の友人にはリクルーターが接触してきたのに、自分にはない」(学習院大3年女子)
といった具合に、“学歴”による差別を受けたという学生が取り沙汰されていた。
またこの報道がきっかけとなり、厚労省が「学歴フィルターの実態を調査します!」なんて言い出すのだろうか。
一昨年、岩波書店が「事実上縁故採用に限る」と宣言したときには、小宮山洋子厚生労働相(当時)が「早急に事実関係を把握したい」と早々に発言し、昨年、ドワンゴが「受験料2525円を徴収する」と発表したときには、厚労省が呼び出した。
そりゃぁ、フィルターで選別された学生は、悔しかっただろうし、納得いかなかったに違いない。
でも、“フィルター”なんて言葉が付くと、まるで今始まったことのようだが、そんなもん昔から存在していた。昔は今よりも、もっとあからさまだったようにさえ思う。
「俺らのときなんて、説明会にいったら、『東大・一橋大の人はこちら。その他の国立大と、私立大の方はこちら』って分けられたぞ」
「僕なんて面接のときに、『東大じゃないとうちは出世できないけど、それでもいいのか?』って聞かれたよ。学歴フィルター+圧迫面接、だね(笑)」
そんな風に苦笑いするオッサンたちは多いし、私自身、全日空のCAになろうと思ったのは、当時、ANA人気が高まっていたこと以外に、「JALは縁故じゃないと入れない」と聞いていたからに他ならない。
実際はどうだったのか知らないけれど、いつの時代も、学歴、縁故、性別など、何らかのフィルターは存在していた。
そして、おそらくどんなご時世になろうとも、そのフィルターはなくならないと思う。だって、どの立場で、何を見るかによって、何が平等か、全く別の解が存在するのだ。
もし、今回の“学歴フィルター”に問題があるとするなら、ポチッと押すだけで簡単に、何10社、何100社にエントリーでき、企業も企業で「とりあえず集めろ!」と学生集めに翻弄されていることにある。
私が20年前に就活していた当時から「社畜」という言葉は佐高信や筑紫哲也あたりがしきりに使っており、その言葉で会社の価値を全否定し「最終的に日本社会って世界に比べて劣っている」というロジックが、大学教育期間ではいまだに幅を利かせていることに、当時と比べてまったく進歩していないとこのコラムを読んで気付かされ本当にがっかりです。一般企業に就職した経験のない大学の教授や評論家にはそのような思想の持ち主が多いということでしょうね。私から言えばそんな思想を持つこと自体「超 く だ ら な い」と思うのですが…。マズローの欲求5段階説さえこの学生は理解していないようですね。自己実現させるためにはクリアしなければならないハードルは山程あります。会社の仕事を通じて自己実現させる事が出来る人材を会社としては望んでます。正直今の大学教育の思想をそのまま企業に持ち込んだら間違いなく「人罪」でしかありません。(2014/04/09)