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第9章  雪の紫禁城(1)

2007年1月22日(月)

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 12月、CAO(中国航油料)の社長、チェン・ジウリンは、北京にいた。

 地方からの流入者を含め1900万人が暮らす巨大都市は、近代的なビルの上に瓦屋根の楼閣を載せた独特の建築物が建ち並び、周囲に1980年代以前の古びたビルや団地、商店などが広がっている。

 街路の槐(えんじゅ)、柳、白楊はすっかり葉を落とし、街は茶色と灰色に冬枯れている。空はどんより垂れ込め、空気中に石炭を焚く臭いがする。

イラスト CAOの親会社のオフィスは海淀区にあった。天安門広場や紫禁城がある中心街からは、北西の方角に10キロメートルほど。オフィス、商店、住宅、学校などが入り混じった雑多な一角で、付近には、食べ物の匂いが漂っている。

 ビルは緑色のガラスをふんだんに使ったモダンなものだが、よく見ると安っぽい造り。高さは18階建てで、正面と屋上に「中国航空油」の大きな赤い文字の看板がある。

 「……本当に投機的取引じゃないんだな?」

 白髪混じりの初老の中国人が北京語で訊いた。親会社でCAOの管理を担当している人物で、CAOの役員を兼務している。

 「リスク管理は、今年3月にアーンスト&ヤング(Ernst & Young)のアドバイスも受けて、役員会でも認められた手続きに従ってきちんとやってますよ」

 執務机の向かいに置かれたソファーにすわったチェン・ジウリンが微笑した。肉付きのいい身体をイタリア製の高級スーツで包んでいた。

 かたわらに、大柄なオーストラリア人の主任トレーダーが控えていた。中国語の会話がまったくわからないので、黙然とすわっている。

 「このケロシンのオプションもあくまでヘッジ目的なんだな?」

 執務机にすわった初老の中国人が、CAOの財務報告書の一箇所を指し示す。

 「そうです」
 ジウリンは自信たっぷりで頷いた。

 それは、ケロシンのコール・オプション(一定の価格でケロシンを買う権利)を顧客に売ったものだった。ストライク・プライス(行使価格)は38ドル。ケロシンの価格は現在バレル当たり34ドル前後である。

 「我々はケロシンの在庫を持っています。それがアンダーライング・アセット(原資産)です。ペーパーだけの投機的取引ではありません」

 巧みないい逃れ。オプションを行使されても、手持ちのケロシンを引き渡す(または市場で売却して差金決済する)ので、リスクは限定されているという理屈だ。しかし、実際は手数料稼ぎが目的で、手持ちの在庫ではカバーしきれない量のオプションを売っていた。

 しかし、年輩の中国人は「アンダーライング・アセット」といわれて何のことか理解できず、半信半疑の表情。そもそも、リスク管理手続を役員会で承認したときも、理解している役員は1人もいなかった。また、同手続は、オプション取引を想定しておらず、CAO社内ではオプションの取引限度額が設けられていなかった。

 「このコンパウンド・オプションというのは何だね?」
 白髪まじりの中国人は、疑わしげな視線を向ける。

 「期間を延長できるオプションのことです」

 オプションの買い手に期間延長権があるリスクの高い取引だ。その分、オプション料も高額になる。

 「これもヘッジ目的なんだな?」

 「そうです」
 頭頂部まで禿げ上がった丸顔のジウリンが頷く。相手のくたびれた灰色のスーツを内心で嘲っていた。

 「ずいぶんご心配されるんですな」

 「当たり前だ。また自己批判書を出すような事態になったら、我々の監督責任も問われるじゃないか」
 年輩の中国人は苛々した口調でいった。

 1年ほど前、CAOは、CSRC(China Securities Regulatory Commission=中国証券監督管理委員会)の抜き打ち検査を受け、投機的なスワップや先物取引をやっているとして厳しい指摘を受けた。

 検査が入ったきっかけは、CSRCの担当者がCAOのホームページをたまたまネットで閲覧し、掲載されていた上場目論見書を読んで、投機的取引をしているという記述を発見したことだった。

 その結果、CAOは親会社に対して自己批判書を提出させられた。親会社はそれをCSRCに提出し、今般の不始末に関し子会社を処分したと説明し、何とか責任を免れた。

 「前回は自己批判書ですんだが、今度何かあれば、厳罰だぞ」

 自己批判書は一種の始末書で、事件は内々に処理された。しかし、再度同じことをやると、罰金、業務停止、刑事告発など、見せしめ的な懲罰を科される。

 事件後、CAOはCSRCにヘッジ目的に限ってデリバティブ取引を行なう許可を正式申請し、それについては認められた。

 「また自己批判書提出なんて事態になったら、きみには辞めてもらうからな」

 「ご安心ください。きちんとやってますから」
 ジウリンは悪びれずに微笑した。
 

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「第9章  雪の紫禁城(1)」の著者

黒木 亮

黒木 亮(くろき・りょう)

作家

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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