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第9章  雪の紫禁城(3)

2007年2月5日(月)

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 「……you know, what was in the heart of this play, like other plays of Shakespeare, was the rhythm, the heart beat(……いいですか。この劇の核心にあるものは、他のシェークスピアの作品同様、リズムです。心臓の鼓動です)」

イラスト 40歳くらいの白人男性を20人ほどの人々が取り囲み、熱心な視線を注いでいた。男性は、両手を広げ、拳で胸を叩き、突然虚空を指差し、独楽(こま)のように回転しながら、よく通る声で話す。まるで舞台演出家だ。英語はイギリス英語。

 「セリフの多くは、弱い音と強い音を5回繰り返す英語独特のリズムでできています。このリズムを、まず身体で覚えましょう」

 周囲にいるのは、年齢も国籍も人種も様々な人々。若いイギリス人女性、中年の日本人男性、太ったオランダ人男性、口髭をたくわえた長身のイギリス人男性……。皆、セーターにジーパン、トレーナーにコーデュロイのパンツといった軽装である。

 「『ジュリアス・シーザー』の第3幕に、こういうセリフがあります。Not that I loved Caesar less, but that I loved Rome more(シーザーを愛していなかったわけじゃない。それ以上にローマを愛していたんだ)」

 シーザー暗殺の理由を、群集に説明するブルータスのセリフだ。

 白人男性は、手で周囲の人々に唱和するように促す。

 「Not that I loved Caesar less, but that I loved Rome more」

 1語1語強弱をつけ、右手で自分の左胸を叩きながら大きな声で繰り返す。

 「Not that I loved Caesar less, but that I loved Rome more」

 周囲の人々が男性に唱和する。ある者は左の胸を叩き、ある者は片腕を回してリズムを取る。

 「Not that I loved Caesar less, but that I loved Rome more」

 「Not that I loved Caesar less, but that ……」

 人々が身体を叩く音や、木の床を踏み鳴らす音が、室内にこだまする。そこは、サハリン・リソーシズ社の社員や家族約400人が住む「アメリカ村」の中心に建つスポーツジムだった。場所は、ユジノサハリンスク市街から車で12~13分行ったところ。

 劇の練習をしているのは、サハリン・リソーシズ社の社員と家族の有志。いわば「サハリン・リソーシズ演劇同好会」だ。ちょっとした体育館ほどの建物の窓の外は、とっぷりと暮れている。

 「いやー、結構本格的だねえ」

 目の前の練習を眺めながら、セーター姿のサハリン・プロジェクト部長が感心した。紺色のセーターの襟元から、ピンク色の長袖シャツがのぞいている。

 「マイケルは、アングロ・ダッチ石油に入る前は、プロの役者を目指してたらしいですからね」

 傍らに立った30代後半の日本人男性がいった。五井商事燃料本部からサハリン・リソーシズ社に出向している駐在員であった。演劇の指導をしているイギリス人の名はマイケル。サハリン・リソーシズ社でコントラクティング(工事や資材の発注・契約業務)のマネージャーをやっている。

 「去年のクリスマスパーティーでやった劇が好評だったんで、今度は、シェークスピアに挑戦するんだそうです」

 「シェークスピアの劇って、結構難しいんだよね?」
 金沢が訊いた。

 「セリフが中世の英語ですからね。youがthoy(ザイ)とか。でも、ハムレットやマクベスは、ストーリーは有名だから、観ててだいたいわかりますけど」

 「えっ、俺、マクベスの粗筋知らないぞ」

 部長が頭を掻き、皆が笑った。

 「いつやるの?」

 「夏のビールパーティーのときです」

 「へー、ずいぶん前から練習するんだなあ」

 「まあ、娯楽が少ない場所ですからね」

 「確かにこんなところに駐在したら、娯楽がないから大変だよなあ」

 部長の言葉に、別の駐在員が頷く。やはり燃料本部からの出向者で、年齢は30代前半。

 「でも、アングロ・ダッチは、さすがに途上国に長期滞在するノウハウは豊富ですね。ロックンロール・ナイトやカラオケ・ナイト、サンデー・ブランチ(朝食兼昼食会)、子供向けの催し物、近場への旅行、夏場であれば、バーベキュー・パーティーやクリケットと、週に2~3回は何らかのイベントをやってますよ」

 「イギリスのヴィクトリー・デイ(第2次大戦戦勝記念日=対独は5月8日、対日は8月15日)のバーベキュー・パーティーだけは、さすがに行きづらかったですけどね」

 30代後半の駐在員がいい、一同が笑った。4人は、アメリカ村の中にある五井商事の社員の家で夕食をしたところだった。

 10分ほど練習を見学して、部長と金沢は、ホテルに帰るため、スポーツジムを後にした。

 戸外に一歩出ると一面の雪。まつ毛と鼻毛が音を立てて凍りつく。2月中旬のユジノサハリンスクの夜は、零下20度にもなる。頭上では、真空のように澄んだ夜空で、無数の星が瞬(またた)いていた。

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「第9章  雪の紫禁城(3)」の著者

黒木 亮

黒木 亮(くろき・りょう)

作家

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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